へいあん‐きょう〔‐キヤウ〕【平安京】
平安京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 01:27 UTC 版)
平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)は、日本における古代最後の宮都[1]。794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都[注釈 1]。
注釈
- ^ ただし後述の通り福原京へ遷都した一時期を除く。
- ^ 平安京の四神相応説は今のところ鎌倉時代成立の『平家物語』が初出。
- ^ 当時の「西堀川」は現在の「紙屋川(天神川)」である。西堀川小路は現在の西土居通に該当する。
- ^ 清麻呂の建議以前の791年(延暦10年)頃には長岡京の廃止と新たな都の候補地探しが始まっていたとする見方もある[8]。
- ^ この説は慶滋保胤(? - 1002年)が『池亭記』に書いて以来信じられてきたが、最近の発掘調査の結果[要出典]からは、必ずしも右京に貴族の邸宅が建てられなかったとは言えない。
- ^ 平安京が葛野の地に置かれたというのは史書などによる伝統的な認識であり、実際は葛野郡と愛宕郡にまたがる地に置かれている。
出典
- ^ 京都市『史料 京都の歴史』 第4巻 市街・生業、1980年、4頁。
- ^ a b “京都市上京区役所:上京区の成立”. www.city.kyoto.lg.jp. 2020年1月9日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第二版「平安京」
- ^ 日本大百科全書「平安京」
- ^ "「大路」名ばかり、「小路」より狭く 平安京東端の道"(京都新聞、2016年1月26日記事)。
- ^ 平安京右京六条二坊・西堀川跡 現地説明会資料
- ^ 京都市編『京都の歴史』第7巻 維新の激動 學藝書林
- ^ 網伸也「平安京造営過程に関する総合的考察」『平安京造営と古代律令国家』(塙書房、2011年) ISBN 978-4-8273-12447
- ^ 塚本常雄「京都市域の変遷と其地理学的考察」1926
- ^ 横山卓雄「平安遷都と鴨川つけかえ」1988
- ^ 高橋学「近世における京都鴨川・桂川の水害」2011『京都の歴史災害』(思文閣出版)所収。
- ^ 小谷愼二郎『水から見た京都:都市形成の歴史と生活文化』2007(法政大学大学院エコ地域デザイン研究所歴史プロジェクト)。
- ^ 加藤繁生「「鴨川つけかえ説」再び―横山卓雄「鴨川非つけかえ説」の不審―」2021『史迹と美術』(史迹美術同攷会)912・913・914号所収。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年、34頁。ISBN 4-040-01261-5。
- ^ 山田邦和「京・鎌倉時代の京都の都市構造」『変貌する中世都市京都』、83頁。
- ^ 山田邦和「南北朝動乱から室町政権へ」『変貌する中世都市京都』、159頁。
平安京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:12 UTC 版)
羅城門 平安京の南端にある門。周囲はさびれ、橋も朽ちかけている。「死人を喰らう老婆が出る」などと噂がたち、楼上は屍だらけである。漢多太が潜み、玄象を奏でていた。弘仁七年(816年)に大風により一度倒壊している。自然のパワーをせき止める強力な呪がかかっているため、追儺により都中を追い回された鬼たちは羅城門を通り抜けることができず、その楼上に溜まってしまう。 朱雀門 朱雀大路に面する大内裏の南門。晴明と博雅は朱雀門の前で龍胆を待ち構えた。昔は大伴門とも呼ばれており、大伴一族が守衛していた。楼上で大伴家持の霊が詩を吟じていることがある。 応天門 朝堂院の門。大内裏の朱雀門を入った正面にある。貞観の時代に放火によって炎上する。 一条戻り橋 晴明の家に向かう途中にある橋。晴明が橋の下で式神を飼っているという噂がある。一条戻り橋でなにかをつぶやくと、晴明の耳に入るので、式神が告げ口しているのではとも勘ぐられている。
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平安京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 10:31 UTC 版)
大内裏の内側にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門である。朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった。場所は2012年まで出世稲荷神社があった所付近(京都市上京区と中京区の南西の境界付近)とされる(旧跡を示す碑などは存在しない)。 扁額は空海の筆によるものと言われている。「弘法にも筆の誤り」ということわざは、空海(弘法大師)が応天門の扁額を書いた際に「應」の一画目の点を書き忘れてしまった(まだれをがんだれにしてしまった)が、空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き足したという伝承に由来する。 866年(貞観8年)、応天門の変で放火されたことで有名であるが、その他にもたびたび失われては再建されたが、1177年(治承元年)の大火で失われて以降、再建されなくなった。応天門の変の後の再建の際には、改名を論じられている。 平安神宮の応天門は、平安京の応天門を5/8のスケールで模したものである。
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「平安京」の例文・使い方・用例・文例
- 梅壷という平安京内裏
- 平安京の大内裏の外郭にある門
- 紫宸殿という,平安京の建物
- 平城京と平安京の市街区画
- 藻壁門という,平安京大内裏の外郭門
- 談天門という,平安京大内裏の外郭門
- 平安京の内裏にある飛香舎という建物
- 平安京の内裏にある清涼殿内の藤壷という部屋
- 不老門という,平安京大内裏の豊楽院の門
- 平安京など,条坊制の都の宅地の区画
- 平安京の内裏に設けられた上臈が居住する五つの殿舎
- 平安京にあった三つの大門
- 清涼殿という,平安京内裏の殿舎
- 平安京という,日本の古代の都
- 朱雀大路という,平安京と平城京の中を通る道路
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