鎌倉時代とは? わかりやすく解説

かまくら‐じだい【鎌倉時代】

読み方:かまくらじだい

鎌倉幕府置かれていた武家政権時代の称。ふつう、文治元年(1185)源頼朝守護・地頭設置したときから、元弘3年(1333)北条高時滅亡するまでの約150年間をいうが、始期については諸説がある。


鎌倉時代 (かまくらじだい)


鎌倉時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 15:38 UTC 版)

鎌倉時代(かまくらじだい、旧字体鎌󠄁倉時代12世紀末 - 正慶2年/元弘3年〈1333年〉)は、幕府鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に置かれていた約一世紀半の時代を指す日本の歴史の時代区分である。鎌倉時代は、京都の朝廷と並んで相模国鎌倉に置かれた鎌倉幕府が全国統治の中心となり、日本史上で本格的な武家政権による統治が初めて行われた時代である。鎌倉時代には、二度の元寇蒙古襲来)という未曾有の国難のほか、地震飢饉疫病が多く発生し、50回もの元号改元(そのうち災異改元が30回)が行われ、仏教鎌倉仏教)が広く庶民と武家にまで広まった。


  1. ^ 執権政治. コトバンクより2023年9月27日閲覧
  2. ^ 近藤成一 「鎌倉幕府と公家政権」(初出:宮地正人 他編『新体系日本史1 国家史』(山川出版社2006年平成18年))/所収:近藤『鎌倉時代政治構造の研究』(校倉書房2016年(平成28年)) ISBN 978-4-7517-4650-9


「鎌倉時代」の続きの解説一覧

鎌倉時代(中興と大江氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 02:54 UTC 版)

慈恩寺 (寒河江市)」の記事における「鎌倉時代(中興大江氏)」の解説

文治5年1189年)に奥州藤原氏滅び寒河江荘地頭大江広元補任されると、慈恩寺次第大江氏(寒河江氏)の庇護を受けるようになる広元長男大江親広建久3年1192年)に寒河江荘譲り受けるが、承久3年1221年承久の乱失脚し寒河江荘隠棲する。ただし、親広の子大江広時、広時の子の大江政広鎌倉幕府要職にあり鎌倉定住していたため、政広の子大江元顕初め寒河江入部したと言われている。『永正大江系図によれば広元末子・尊俊が別当坊継いだことが記録され、『最上院系図』によると親広の孫・成広が別当二十二代を相続して幸繁を称し三十代海・三十五代幸道も大江氏から入った。このことは端的に慈恩寺大江氏密接な関係を結んでいたことを示している。安貞2年1228年)、勧進僧恵玄房経円が白山神社御宝前木造聖観音懸仏納める奈良国立博物館所蔵)。正応3年1290年)、良源阿闍梨により求聞持堂が築造され、虚空蔵菩薩像安置して聞持院と称した。ここでは虚空蔵求聞持法という密教修行行った。ここには、これ以前薬師堂建てられており、薬師三尊及び十二神将安置していたという。永仁4年1296年)に火災本堂及び本尊弥勒菩薩以下の諸仏焼亡するが、正安元年1299年)に再建開始され8年後に完成している。 正慶2年1333年)、鎌倉幕府新田義貞によって攻め込まれると、中央鎌倉方与した大江貞広なども北条高時殉じた。貞広の弟懐顕や子顕広は寒河江氏頼って落ち延びてくることになるが(『大行院大江系図』)、このことが契機となり、寒河江氏南朝陸奥守北畠顕家配下付いた元顕の子元政建武3年1336年)に北畠軍による足利尊氏攻撃参加し戦功挙げている(『金仲山明阿弥陀略縁起』)。しかし、尊氏が軍を立て直して京を奪回すると延元3年1338年)には北畠顕家和泉国石津戦死同年新田義貞戦死し翌年には後醍醐天皇没して南朝苦戦を強いられるうになる東北地方においては北畠顕家の弟北畠顕信下向し、寒河江氏はその元で寒河江荘北方奪還するなど慈恩寺近辺においても戦乱様相を呈する文和3年/正平9年1354年)、斯波家兼北朝奥州管領として下向すると陸奥国北朝勢力下となり、延文元年正平11年1356年)、子の斯波兼頼出羽国進出し延文4年正平14年1359年)に大江元政打ち取られたという。 これ以降寒河江氏斯波氏(後の最上氏)の圧力さらされることになり、延文元年正平11年1356年)に火災慈恩寺本堂釈迦堂以外が焼亡しているが、大規模な造修の記述乏しくなるさらには応安元年正平23年1368年)、大江氏斯波氏漆川の戦い激突し大江氏滅亡こそ免れたものの寒河江時氏以外の一族61人を失うという壊滅的な打撃受けて北朝降伏。時氏の子元時を鎌倉人質として出し所領縮小されたものの安堵された。これ以降東国における南朝側の組織的な抵抗収束し慈恩寺一時平穏を得ることになる。しかし、慈恩寺庇護する寒河江氏勢力縮小は、寺社経営宗徒による自活へと舵を切らせる康暦2年天授6年1380年)、伊達氏長井氏領置賜に侵攻し鎌倉公方近隣豪族救援命令して退却させることに成功する。しかし伊達氏侵攻執拗に続き至徳2年元中2年1385年)に長井氏本拠地置賜郡失い衰退してしまう。伊達氏長井氏はともに北朝側であり、伊達氏国人領主として力を蓄え長井氏室町幕府要職であった伊達氏のこの行動幕府権力からの強い独立志向感じさせる。この伊達氏侵攻により、寒河江氏伊達氏最上氏接することになり、双方内訌争いに度々巻き込まれることになる。応永2年1395年)、慈恩寺衆徒弥勒堂神輿箕輪郷(寒河江市箕輪)に振置きして、箕輪郷を寺領としたという。応永6年1399年)、稲村篠川鎌倉方御所開設されると、伊達大崎氏反旗を翻し幕府京都)側がこれを支持したため、京都鎌倉代理戦争勃発する寒河江氏はこの時、幼少期人質として鎌倉過ごした寒河江元時時代であったので鎌倉側に付いた思われ応永9年1401年)には伊達氏苅田城攻め参加している(『戸沢家譜』)。結局永享の乱終結により稲村篠川御所廃止される1440年頃まで小規模な戦乱状態であった考えられる大江広元 親広(寒河江荘地頭) 広時 政広 元元政 時茂 溝延信 時氏 時広(長井氏) 広顕 貞広 顕広 家広 宗元(那波氏) 懐広 元時 氏政 季光(毛利氏) 重祐 元氏 幸海 冬政 忠成(海東氏) 寒河江時氏 元時 尊俊(慈恩寺別当

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鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)

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堺市」の記事における「鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)」の解説

鎌倉時代には京都奈良など後背都市産業背景南北の堺荘が成立した

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鎌倉時代

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固有名詞

(かまくらじだい)

  1. 日本において、鎌倉幕府存続し時代平安時代の後。室町時代の前。

「鎌倉時代」の例文・使い方・用例・文例

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