征東大将軍
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征東大将軍(せいとうたいしょうぐん)は、かつて中国と日本で用いられた将軍の称号の一つで東夷を征する将軍の意であるが、常に任命されるとは限らない。
- ^ 養老律令には、軍防令に大将軍に関する規定をおいたが、実際にはこの規定に基づく大将軍が任命されたことはなく、大規模な軍を率いる偉大な将軍として大将軍と称された。
- ^ 紀古佐美の場合、延暦7年7月6日の任命の際は『続日本紀』では「征東大使」とされているが、同年12月7日辞見した際『日本紀略』では「征東大将軍」になっている。
- ^ 『吾妻鏡』などを根拠に、義仲が任官したのは「征夷大将軍」とする説が有力で、『玉葉』に記されている「征東大将軍」説を唱えるのは少数派であったが、『三槐荒涼抜書要』所収の『山槐記』建久3年(1192年)7月9日条に、源頼朝の征夷大将軍任官の経緯の記述が発見された。それによると、「大将軍」を要求した頼朝に対して、朝廷では検討の末、義仲の任官した「征東大将軍」などを凶例としてしりぞけ、坂上田村麻呂の任官した「征夷大将軍」を吉例として、これを与えることを決定したという。これによって、義仲が任官したのは「征夷大将軍」ではなく、「征東大将軍」であったことが明らかとなった(櫻井陽子「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって」 『明月記研究』9号、2004年)。
- 1 征東大将軍とは
- 2 征東大将軍の概要
- 3 アジア諸国における征東大将軍
- 4 関連項目
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