ぎょく‐よう〔‐エフ〕【玉葉】
ぎょくよう〔ギヨクエフ〕【玉葉】
玉葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 07:05 UTC 版)
『玉葉』(ぎょくよう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて執筆された、日本の公家九条兼実の日記[1]。
- ^ “玉葉(ぎょくよう)の意味”. goo国語辞書. 2019年11月29日閲覧。
- ^ a b 臼井和樹「『玉葉』をさがせ-楓山秘閣玉海捜探」 小原仁 編『変革期の社会と九条兼実 『玉葉』をひらく』(勉誠出版、2018年) ISBN 978-4-585-22217-0
- ^ 古典の事典編纂委員会編『古典の事典・精髄を読む第3巻』1987年・河出書房新社刊 ISBN 4-309-90203-0
玉葉(ぎょくよう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 21:11 UTC 版)
天若日子と下光比売の娘。須佐の国は末子相続であるため、末姫の彼女の夫が次代の王となる。玉葉自身は武日照を「お兄様」と呼んで慕っており、婚約が破棄されてからも結ばれることをあきらめていない。
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玉葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/18 17:57 UTC 版)
この申請について、九条兼実の日記『玉葉』11月28日条には次のように記されている。 廿八日丁未陰晴定まらず。伝え聞く、頼朝の代官北条丸、今夜経房に謁すべしと云々。定めて重事等を示すか。又聞く、件の北条丸以下の郎従等、相分ち五畿・山陰、山陽・南海・西海諸国を賜い、庄公を論ぜず兵粮段別五升を宛て催すべし、啻に兵粮の催しにあらず、惣じてもって田地を知行すべしと云々。凡そ言語の及ぶ所に非ず — 『玉葉』文治元年十一月二十八日条 この記事は『吾妻鏡』同日条と同じ事実を書き記したものであるが「守護地頭」の語句はない。
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