玉蘂とは? わかりやすく解説

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ぎょくずい【玉蕊】

読み方:ぎょくずい

鎌倉時代九条道家日記承元3年(1209)から暦仁元年(1238)まで断続的に伝わり有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい。祖父兼実(かねざね)の日記玉葉」にちなむ名。光明峰寺殿記。峰禅閤記。


玉蘂

読み方:ギョクズイ(gyokuzui)

バラ科落葉小高木園芸植物薬用植物


玉蘂

読み方:ギョクズイ(gyokuzui)

鎌倉前期日記九条道家著。


玉蘂

読み方:ギョクズイ(gyokuzui)

ウメ別称
バラ科落葉小高木園芸植物薬用植物

学名 Prunus mume


玉蘂

読み方:サガリバナ(sagaribana)

サガリバナ科常緑高木

学名 Barringtonia racemosa


玉蘂

読み方:ギョクズイ(gyokuzui)

分野 日記

年代 鎌倉前期~中期

作者 九条道家


玉蘂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/17 14:31 UTC 版)

玉蘂』(ぎょくずい)は、鎌倉時代中期の摂関であった九条道家日記。今日ではごく一部しか残されていない。


注釈

  1. ^ 暦仁元年6月5日、道家の三男である鎌倉幕府第3代将軍藤原頼経京都から奈良の春日大社に参詣したが、『吾妻鏡』にはその際の同行者の中に北条泰時三浦泰村宇都宮泰綱の3名の名前もあるが、写本が存在する『玉蘂』の同日条にはこの3名が京都で留守を守っていたと記されている。頼経の実父であり、実際に京都を出立して奈良に向かう頼経の行列を見送っている道家が誤った事実を書くとは考えにくく、『吾妻鏡』の誤記もしくは曲筆の可能性もある[4]

出典

  1. ^ a b c d 龍福「玉蘂」『国史大辞典』
  2. ^ a b c d e 本郷「玉蘂」『日本史大事典』
  3. ^ a b c 吉田「玉蘂」『日本歴史大事典』
  4. ^ 石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年、178-180頁。


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