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武蔵国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/08 09:42 UTC 版)
武蔵国(むさしのくに、旧字体:武藏國)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は武州(ぶしゅう)。領域は現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部にあたる。『延喜式』での格は大国、遠国。
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- ^ 无射志国荏原評銘文字瓦(川崎市教育委員会文化財課)
- ^ 本居宣長の『古事記伝』では、武蔵国は駿河・相模と共に佐斯国と呼ばれ、後に佐斯上・下佐斯に分割され、下佐斯(シモザシ)からモザシ、即ちムザシ(武蔵)となったとされる。賀茂真淵や『倭訓栞』には、身狭国があり、のち身狭上・身狭下に分かれ、身狭下(ムサシモ)から武蔵となったとする。近藤芳樹『陸路廼記』などによれば総国の一部が総上・総下となり、総下(フサシモ)から武蔵となったとされる。しかし、これらの説には根拠となるような資料が見つかっておらず、また、武蔵国がかつては毛野国(群馬県・栃木県)地域と一体であったとする考古学の成果と合わない。
- ^ 瓦谷戸窯跡群発掘調査報告書
- ^ 平野卓治「律令国家と「坂東」」 上原真人・白石太一郎・吉川真司・吉村武次編『列島の古代史1 ひと・も・こと 古代史の舞台』岩波書店 2006年 140-141頁
- ^ 府中市教育委員会・国分寺市教育委員会 編『古代武蔵の国府・国分寺を掘る』学生社、2006年(平成18年)
- ^ 府中観光協会 武蔵国衙跡
- ^ 国史跡 武蔵国府跡
- ^ 『品川区史』通史編、高島緑雄
- ^ ここでは大國魂神社の説を採ったが、実際は比定社が複数あり、その多くは横浜市内に集中する。主祭神も日本武尊である社も多い。
- ^ 元来は隅田川以東であり、江戸時代初期の1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)に太日川(現江戸川)以東迄を武蔵国に編入した。
- ^ 旧中葛飾郡を除く。元来は古利根川以東であり、江戸時代初期の1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)に太日川(現江戸川)以東までを武蔵国に編入した。
- ^ 相模国鎌倉郡に属していた以下の地域は除く:戸塚区、瀬谷区(卸本町の一部を除く)、泉区、栄区の全域および南区六ツ川四丁目、港南区永野地区、金沢区朝比奈町全域と東朝比奈の一部
[続きの解説]
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