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伊賀国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 15:23 UTC 版)
| 伊賀国のデータ | |
|---|---|
| 国 | 日本 |
| 地方 | 近畿地方 |
| 面積 | 687.93km² |
| 総人口 | 176,466人 (2011年12月1日) |
| 人口密度 | 256.5人/km² (2011年12月1日) |
![]() 伊賀国の地域 |
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伊賀国 (いがのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に位置する。別称は伊州(いしゅう)[1]。上野盆地と周辺一帯に位置し、領域は現在の三重県西部(伊賀市と名張市)にあたる。『延喜式』での格は下国、近国。
四方を山に囲まれ「隠し国」とも呼ばれていた。
目次 |
歴史
- 室町時代・安土桃山時代
- おおむね仁木氏が伊賀守護をつとめたが、支配力は緩かった。徳川家康が「神君伊賀越え」を実行したことでも知られる。この頃に600を越える土塁付の屋敷が作られ、国内は内乱状態となり、忍者の発生へとつながった。
- 江戸時代
- 江戸時代には藤堂家の領国の一部となり、伊賀国一帯は伊勢津藩の領土となった。
- 1876年(明治9年)4月18日:現在の三重県が成立。
- 1998年(平成10年)9月22日:台風7号(室生寺の塔が壊れた台風)が伊賀地方で最大風速56.4m/sを記録。被害甚大。
- 2004年(平成16年)11月1日:伊賀市誕生。旧の上野市、伊賀町、阿山町、大山田村、島ヶ原村、青山町が合併して成立。
国内の施設
国府
国府は阿拝郡にあり、現在の伊賀市坂之下国町にあたる。1990年(平成2年)、1991年(平成3年)の調査で政庁跡が確認された。
国分寺・国分尼寺
国分僧寺は、伊賀市西明寺字長者屋敷にあった。
尼寺は、伊賀市西明寺字長楽寺にあった。
神社
- 総社 不詳 - 伊賀市府中の府中神社は、若宮八幡宮が明治以後に他神社と合祀されて改称したもので、総社ではない。
- 一宮 敢國神社 - 初見の史料は『源平盛衰記』である。源範頼、源義経入京の際に当国の一宮南宮大菩薩に拝したとある。ただし、それより以前の1165年の史料に、伊賀国の神社の筆頭として南宮社が挙げられている。
- 二宮 小宮神社 (伊賀市) - 中世に当社が二宮を称した記録はなく近世以後の比定である。ただし、伊賀国に二宮があったことは確かのようである。
- 三宮 波多岐神社 (伊賀市) - 『伊賀記』(伝 北畠親房著)に「里人称之三宮。又号波太伎社之宇都可明神説見于上」とあるのが初見。
四宮以下はないようである。
守護所
守護所は、「府中(こふ)」と呼ばれていた現在の伊賀市の東条・西条あたりだと想定されている。
安国寺利生塔
- 安国寺 - 三重県伊賀市三田沢にあった。
- 利生塔 - 樂音廃寺(三重県伊賀市佐那具町)にあった。
地域
郡
江戸時代の藩
| 藩名 | 居城 | 藩主 |
|---|---|---|
| 伊賀上野藩 | 伊賀上野城 | 筒井定次(20万石、1600年~1608年)。改易により廃藩 |
| 津藩 | 伊賀上野城(城代) | 藤堂家(22万950石→27万950石→32万3950石→27万3950石→27万950石、1608年~1871年) 藤堂氏は、伊賀・伊勢2国を領有し、本城は伊勢津城であったが、伊賀上野城にも城代をおいていた。 |
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