統子内親王
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統子内親王(とうし/むねこないしんのう、大治元年7月23日(1126年8月13日) - 文治5年7月20日(1189年9月2日))は、平安時代後期の日本の皇族。後白河天皇の准母として皇后(皇后宮)となり、のち女院。崇徳朝賀茂斎院。院号は上西門院(じょうさいもんいん)。法名は金剛親・真如理。
- ^ 曽我部愛「後高倉王家の政治的地位」(初出:『ヒストリア』217号(2009年)/所収:曽我部『中世王家の政治と構造』(同成社、2021年) ISBN 978-4-88621-879-7)
- ^ 栗山圭子「准母立后制にみる中世前期の王家」(初出:『日本史研究』465号(2001年)/所収:栗山『中世王家の成立と院政』吉川弘文館、2012年 ISBN 978-4-642-02910-0)
- ^ 佐伯智広「二条親政の成立」(初出:『日本史研究』505号(2004年)/所収:佐伯『中世前期の政治構造と王家』(東京大学出版会、2015年) ISBN 978-4-13-026238-5)
- ^ 野口華世「待賢門院領の伝領」服藤早苗 編『平安朝の女性と政治文化 宮廷・生活・ジェンダー』(明石書店、2017年) ISBN 978-4-7503-4481-2
- 1 統子内親王とは
- 2 統子内親王の概要
- 3 関連項目
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