【統帥権】(とうすいけん)
大日本帝国憲法において天皇に認められていた、陸海軍の最高指揮権。
首相(内閣総理大臣)の影響が及ぶ国務から独立しているものとされ、発動には陸軍参謀総長と海軍軍令部長が(参謀として)計画に加わることとなっていた。
ただし、実質的に天皇に軍隊の指揮権は無い。
また、昭和に入ると軍部が統帥権を乱用して、政府の方針などを無視して行動したため大東亜戦争(太平洋戦争)に突入したとの見方も強い。
大日本帝国憲法 第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
ちなみに、現在の日本では自衛隊の最高指揮権は内閣総理大臣にある、と解されており、陸海空自衛隊への「防衛出動命令」「治安出動命令」「国民保護出動命令」は内閣総理大臣の名において発令されることとなっている。
また、内閣総理大臣は国土防衛の最高意思決定機関である安全保障会議の議長も務めることとなっている。
統帥権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/17 01:03 UTC 版)
統帥権(とうすいけん)とは、大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権[1])のことをいう。
注釈
- ^ 1932年(昭和7年)に陸軍大学校が教本として作成した『統帥参考』(復刻版、田中書店、1983年(昭和58年))には「統帥権ノ独立ヲ保障センカ為ニハ“武官ノ地位ノ独立”ト“其職務執行ノ独立”トヲ必要トス 政治機関ト統帥機関トハ飽ク迄対立平等ノ地位ニ在リテ何レモ他ヲ凌駕スルヲ得サルヘキモノトス」とある。これは統帥権干犯問題の後に作成されたものであるが、「統帥権と行政権の平等性」は軍部の一貫した主張であった。
- ^ 軍政上の、陸軍大臣による帷幄上奏勅令は、軍の制度や規則を規定した軍事の勅令であって、作戦命令や動員命令などは含まれなかった。明治憲法上は第11条の統帥大権ではなく、第12条の編制大権に属する事項であった。参考文献:永井和『近代日本の軍部と政治』 p313
- ^ 軍令の方針が間接的には他国との共同出兵を行った場合には外交(例:シベリア出兵)と、兵力・軍備の配置を巡っては財政(例:二個師団増設問題)とも衝突する可能性があった。
- ^ 大山は日露開戦時の参謀総長、山縣は日露講和時の参謀総長である。
- ^ 新政策の草案は田中の就任前にほぼ原案が完成しており、政党での政治活動の経験が無かった田中は決定に関与していなかったのである。
- ^ 「主力艦(戦艦)」に対しての「補助艦」で巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など。
- ^ ただし、条約での補助艦全体の対米比は6.975であり、0.025少ないだけである。トン数にすると6000トン程度。
出典
- ^ 秦(2006)、11頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 堀茂. “日露戦争までの我が国の制軍関係”. 杏林大学大学院. 2022年7月11日閲覧。
- ^ a b “日露戦争関連用語集 3 組織、制度”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2022年7月11日閲覧。
- ^ 黄文雄『大日本帝国の真実』「統帥権独立」は国を破滅に導いたか 258-262頁
- ^ 秦(2006)、85-92頁。ただしこの逸話は「太平記」にあるため広く知られてはいたが史実性に関しては異論も多い。坊門清忠も参照。
- ^ 以下の出典は、戸部(1998)、159-163頁。
- ^ “第二次外相時代 協調と強硬の狭間”. 外務省. 2022年7月11日閲覧。
- ^ 「現代史資料」みすず書房
統帥権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:06 UTC 版)
統帥権を独立させ、大日本帝国陸軍・大日本帝国海軍は議会(立法府)や政府・内閣(行政府)に対し、一切責任を負わないものとされた。 統帥権は慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、文民統制(シビリアン・コントロール)の概念に欠けていた。元来は政争の道具として軍が使われないようにと元勲が企図したものだが、統帥権に基づいて軍令機関は帷幄上奏権を有すると解し、軍部大臣現役武官制とともに軍部の政治力の源泉となった。後に、昭和に入ってから、軍部が大きくこれを利用し、陸海軍は大元帥である天皇から直接統帥を受けるのであって政府の指示に従う必要はないとして、満州事変などにおいて政府の決定を無視した行動を取るなどその勢力を誇示した。
※この「統帥権」の解説は、「大日本帝国憲法」の解説の一部です。
「統帥権」を含む「大日本帝国憲法」の記事については、「大日本帝国憲法」の概要を参照ください。
統帥権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/22 01:09 UTC 版)
統帥権の輔弼は国務大臣の輔弼の管轄外とされ、陸軍は参謀総長、海軍は軍令部総長の輔弼を受けることとされた。内閣官制第7条により統帥に関する事項は内閣総理大臣を経ずにこれらの軍令機関が直接上奏し、国務に関連するものについては内閣に下付されるものを除いて陸海軍大臣が内閣総理大臣に報告することとされた(帷幄上奏)。
※この「統帥権」の解説は、「天皇大権」の解説の一部です。
「統帥権」を含む「天皇大権」の記事については、「天皇大権」の概要を参照ください。
統帥権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:31 UTC 版)
衆議院において政府に反対する勢力が多くを占めることを予想して、貴族院に衆議院と同等の権限を持たせている。 実際に政治を運営するのは、天皇でなく元老や内閣の各国務大臣である。行政権は各国務大臣の輔弼により天皇に付随しており、権力執行者とされた。大日本帝国憲法では、国務大臣は天皇を輔弼するもの(総理大臣も他の大臣と同格。)と規定された。しかし、最終的な政治決断を下すのは誰か、という点は曖昧にされていた。対外的には、天皇は元首であるが実際の行政権執行者は内閣としていた。内閣は憲法ではなく内閣官制で規定されており、内閣総理大臣は国務大臣の首班ではあるものの憲法上は対等な地位であった。 この憲法に規定された権力構造が昭和に入ってから軍部に利用され、「軍の統帥権は天皇にあるのだから政府の方針に従う必要は無い」と憲法を拡大解釈して軍が大きな政治的影響力を持つこととなったといわれる(権力の二重構造、統帥権干犯問題)。軍が天皇を担いでクーデターを起こしても、政府がこれを制止鎮圧する術はなかったのである。(二・二六事件・統帥権干犯問題を参照)こうした政治的主体性の欠如した統治機構を、政治学者の丸山眞男は「無責任の体系」と呼んだ。 なお、明治以降から終戦までの天皇は、従来の天皇とは異なる極めて政治的な理由によって、大幅に制度を変えるものであるとして、「絶対主義的天皇制」「近代天皇制」という語が用いられることもある(天皇制ファシズム参照)。
※この「統帥権」の解説は、「天皇制」の解説の一部です。
「統帥権」を含む「天皇制」の記事については、「天皇制」の概要を参照ください。
「統帥権」の例文・使い方・用例・文例
- 統帥権
- 統帥権を持つ将校
- 統帥権のページへのリンク