叙爵とは? わかりやすく解説

じょ‐しゃく【叙爵】

読み方:じょしゃく

爵位授けられること。

律令制で、六位から従五位下叙せられること。


叙爵

読み方:ジョシャク(joshaku)

江戸時代従五位叙せられること。


叙爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 03:49 UTC 版)

叙爵(じょしゃく)とは、


  1. ^ 高田淳「加階と年労-平安時代における位階昇進の方式について-」初出:『栃木史学』3、1989年/所収:倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』臨川書店、2021年 倉本編、P70.
  2. ^ 佐古愛己「年労制の変遷」(初出:『立命館文学』575号(2002年)/所収:佐古『平安貴族社会の秩序と昇進』(2012年、思文閣出版) ISBN 978-4-7842-1602-4
  3. ^ 大蔵省印刷局 編 『官報』日本マイクロ写真、「華族ヘ榮爵ヲ賜ル」 (明治十七年七月七日)/「叙任」 (明治十七年七月七日))、1884年7月8日、1-5頁。NDLJP:2943511https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2943511 


「叙爵」の続きの解説一覧

叙爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 10:25 UTC 版)

ジョン・プレスコット」の記事における「叙爵」の解説

2010年5月28日プレスコット一代貴族称号授与されることが発表され6月15日官報にあたるロンドン・ガゼット解散栄誉として公示された。プレスコット7月8日イースト・ライディング・オブ・ヨークシャーキングストン・アポン・ハルプレスコット男爵として下院紹介され7月7日付け特許状7月12日発表された。

※この「叙爵」の解説は、「ジョン・プレスコット」の解説の一部です。
「叙爵」を含む「ジョン・プレスコット」の記事については、「ジョン・プレスコット」の概要を参照ください。


叙爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:44 UTC 版)

三井家」の記事における「叙爵」の解説

1896年明治29年)、北家当主高棟が華族に列せられ、男爵叙された。 また南家当主の高弘は1910年明治43年)に、室町家当主の高保は1915年大正4年)に男爵となっている。

※この「叙爵」の解説は、「三井家」の解説の一部です。
「叙爵」を含む「三井家」の記事については、「三井家」の概要を参照ください。


叙爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 23:07 UTC 版)

アンジェラ・バーデット=クーツ」の記事における「叙爵」の解説

1871年ヴィクトリア女王は、彼女の慈善事業への取り組み称え、彼女に連合王国貴族としての男爵位を与えた。これにより、彼女の持つ称号は、ミドルセックス州ハイゲート及びブルックフィールドのバーデット=クーツ女男爵(Baroness Burdett-Coutts of Highgate and Brookfield in the County of Middlesex)となった1872年7月18日には、ギルドホールにおいて女性としては初のロンドン名誉市民称号得た。また1874年に、エディンバラにおける女性初の議員選出され、ここでもエディンバラ名誉市民称号贈られた。

※この「叙爵」の解説は、「アンジェラ・バーデット=クーツ」の解説の一部です。
「叙爵」を含む「アンジェラ・バーデット=クーツ」の記事については、「アンジェラ・バーデット=クーツ」の概要を参照ください。


叙爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/06 07:20 UTC 版)

ゼッケンドルフ家」の記事における「叙爵」の解説

アーバーダー系:1706年9月5日ウィーン神聖ローマ帝国軍 (Reichsarmee) の騎兵大尉 (Rittmeister) で、ズーゲンハイム (Sugenheim) 、オーバーンツェン (Obernzenn) その他の領主ならびにフランケン地方、シュタイガーヴァルト (Steigerwald) 管区帝国騎士 (Reichsritterschaft) 長であるクリストフ・ズィクムント・フォン・ゼッケンドルフが帝国男爵叙せられた。またヴュルテンベルク王国侍従 (Kammerherr) および国務大臣だったクリストフ・フォン・ゼッケンドルフ男爵1810年11月6日シュトゥットガルトヴュルテンベルク伯爵位を授かっている。 グーデント系:1719年4月2日ウィーン帝国元帥フリードリヒ・ハインリヒ・フォン・ゼッケンドルフ男爵1673年-1763年)に帝国伯 (Reichsgraf) の位が与えられ紋章昇格した1816年1月17日にはベルリンザクセン王国枢密院議員 (Geheimrat) 並びにメルゼブルク (Merseburg) 司教座聖堂参事会議長のアドルフ・フォン・ゼッケンドルフに、プロイセン王国伯爵位が授けられている。また1912年8月5日にスヴィーネミュンデ(王室ヨット「ホーエンツォラーン」の船上)で、1913年5月28日付の特許状を伴う最高内閣令 (de:Kabinettsorder) に基づきブラウンシュヴァイク公国大佐、ゲラルト・フォン・ゼッケンドルフの兄弟の子孫に、男爵位の継承プロイセン王国から承認された。 リンホーフェン系:1912年8月5日にスヴィーネミュンデ(王室ヨット「ホーエンツォラーン」の船上)で、1913年5月28日付の特許状を伴う最高内閣令に基づきプロイセン王国参事官、カール・フォン・ゼッケンドルフ男爵1840年没)の子孫に、男爵位の継承同国から承認された。

※この「叙爵」の解説は、「ゼッケンドルフ家」の解説の一部です。
「叙爵」を含む「ゼッケンドルフ家」の記事については、「ゼッケンドルフ家」の概要を参照ください。


叙爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 07:45 UTC 版)

アダム・ダンカン」の記事における「叙爵」の解説

イギリスこれ以上ないほどの熱気で、勝利伝えられた。これは、船員たちの反乱が、イギリス海軍権力威信打ち砕けなかったという、まさにそのあかしであった。10月21日ダンカンはキャンパーダウン子爵、ルンディ(現在のダンディーのキャンパーダウンパーク)男爵叙せられたが、それだけでは褒賞不十分だという空気強かった早くも10月18日には、おばであるレディ・メアリー・ダンカンが、当時戦時国務であった初代メルヴィル伯ヘンリー・ダンダス(英語版)にこのような手紙送りさえした。 「報告によれば、私の甥は子爵叙せられたきりです。私はかまいませんが、国中が、あなた様に甥を伯爵につけてほしいと思っているでしょう我が国陛下代理として、陛下同様に信心深く武勇重んじる甥が、任務をきちんと遂行したことを確認しております。これを私の意見としたい思います」 しかし、子爵継承したダンカン息子が、伯爵爵位受けたのは、ダンカンの死から何年過ぎた1831年のことだった。その後彼の子孫たちは、優先順位の順に伯爵位を受け継いでいった。ダンカンゴールドメダル英語版)を授与され年間費用3000ポンド邸宅が、自身と、爵位を継ぐ2人の息子たちにあてがわれた。これは、イギリス政府によって寄与された最も大きな邸宅だった。加えてダンディーロンドンはじめとする都市市民権をも授与された。

※この「叙爵」の解説は、「アダム・ダンカン」の解説の一部です。
「叙爵」を含む「アダム・ダンカン」の記事については、「アダム・ダンカン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「叙爵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「叙爵」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「叙爵」の関連用語

叙爵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



叙爵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの叙爵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジョン・プレスコット (改訂履歴)、三井家 (改訂履歴)、アンジェラ・バーデット=クーツ (改訂履歴)、ゼッケンドルフ家 (改訂履歴)、アダム・ダンカン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS