安和の変とは? わかりやすく解説

あんな‐の‐へん〔アンワ‐〕【安和の変】


安和の変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 01:54 UTC 版)

安和の変(あんなのへん)は、平安時代969年安和2年)に起きた藤原氏による他氏排斥事件。源満仲らの謀反の密告により左大臣源高明が失脚させられた。以後、摂政・関白が常設されることとなった。


注釈

  1. ^ 栄花物語』などによれば兼通の息子・正光も高明の娘婿で、倉本一宏は兼通の冷泉・円融朝初期の官位停滞の原因を安和の変にみる[1]。また、栗山圭子は『大鏡』で兼通が関白就任のきっかけになったとされる亡き安子の遺命を自分が生んだ皇子女の後見の話として捉え、為平親王の後見人は兼通だったとする[2]

出典

  1. ^ 倉本一宏 著「藤原兼通の政権獲得過程」、笹山晴生 編『日本律令制の展開』吉川弘文館、2003年。 
  2. ^ 栗山圭子 著「兼通政権の前提-外戚と後見」、服藤早苗 編『平安朝の女性と政治文化 宮廷・生活・ジェンダー』明石書店、2017年。 
  3. ^ 沢田和久「冷泉朝・円融朝初期政治史の一考察」『北大史学』55号、2015年。/所収:倉本一宏 編『王朝再読』臨川書店〈王朝時代の実像1〉、2021年、6-10頁。 


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