ちくご‐の‐くに【筑後国】
読み方:ちくごのくに
⇒筑後
筑後国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/19 08:56 UTC 版)
筑後国(ちくごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、現在の福岡県の南部に属する。7世紀末までに成立した。
注釈
出典
- ^ 川添昭二・武末純一・岡藤良敬・西谷正浩・梶原良則・折田悦郎 『福岡県の歴史 (県史)』山川出版社、1997年12月20日、4頁。ISBN 978-4634324008。
- ^ a b 福岡県統計年鑑 平成22年
- ^ a b 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 586-587。
- ^ 木村忠夫「大友氏の豊後支配」(初出:『熊本史学』42号(1973年)/所収:八木直樹 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第二巻 豊後大友氏』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-122-6)
筑後国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:07 UTC 版)
福岡県の筑後川付近には「河童と地元民とのもめごと」や「河童族同士の戦争」の伝説や「河童にちなんだ地名」など比較的年代が明確ではっきりした記録が数多く残っている。 「水に入る前にはタケノコを食べる」「水に入る前には仏前飯を食べる」「水に入る前には水天宮の申し子だと唱える」といった河童除けの風習は久留米市の水天宮付近が起源とされる。毎年8月には、水の祭典という祭りが行われる。これは、元々河童をあがめるために始まった祭りである。 うきは市吉井町(旧吉井町)から久留米市(旧田主丸町)にかけて流れる巨瀬川流域には河童がいたと言い伝えられている。巨瀬川の脇にある高橋神社においては、昔から毎年9月には“かっぱ相撲”が行われ、昔は大人の草相撲であったが、最近は近隣の幼稚園児から小中学生による相撲で、背中にかっぱの甲羅を描き相撲を取る。
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