筑後国
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地域
郡
10郡(延喜式)
- 御原郡(みはらぐん)
- 生葉郡(いくはぐん)
- 竹野郡(たけのぐん)
- 山本郡(やまもとぐん)
- 御井郡(みいぐん)
- 三瀦郡(三潴郡)(みづまぐん)
- 陽咩/八女郡(やめぐん)・・・延喜式までに上妻郡と下妻郡に分割。
- 上妻郡(かふづまぐん)
- 下妻郡(しもつまぐん)
- 山門郡(やまとぐん)
- 三毛郡(三池郡)(みけぐん)
江戸時代の藩
人物
国司
筑後守
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平安時代末期から鎌倉時代初期にかけては筑前守および筑後守を同様に扱われた。
- 713年 - ? - 道首名(※初代筑後権守)
- 886年 - ? - 高丘宿禰五常(※筑後介)
- 970年前後 - 平維将(※筑前肥後守)
- 972年 - 975年? - 平惟仲(※筑後権守)
- 975年 - 977年? - 平親信(※筑後権守)
- ? - ? 平範季
- 1000年? - ? - 藤原広業(※筑後権守)
- 1017年? - 1019年? - 高階成章(※筑後権守)
- 1159年前後 - ? - 平家貞 父は平範季。
- 1160年? - ? - 平貞能 父は平家貞。
- ? - 1180年前後? - 波多野遠義(※筑後権守)
- 1180年前後? - ? - 橘遠茂(※筑後権守) - 平家家人
- 1186年 - ? - 藤原俊兼(※筑後権守)
- 1191年前後? - ? - 源仲頼 - 若宮社歌合に参加
- 1274年前後? - ? 草野教員(※筑後権守)
- 1274年前後? - ? 大友頼泰(※筑後権守)
- 1350年代? - ? - 阿蘇惟澄(※筑後権守)
- ? - ? - 蒲池治久(※筑後守)
守護
鎌倉幕府
- 1206年 - 1213年 - 大友能直
- 1241年 - 1272年 - 北条時章
- 1272年 - 1277年 - 大友頼泰
- 1277年 - 1281年 - 北条宗政
- 1286年 - 1288年 - 少弐盛経
- 1295年 - ? - 宇都宮通房
- 1305年 - 1315年 - 宇都宮頼房
- ? - 1333年 - 北条氏
室町幕府
- 1333年 - 1349年 - 宇都宮冬綱
- 1349年 - 詫磨宗直
- 1363年 - 1364年 - 大友氏時
- 1364年 - 大友氏継
- 1375年 - 島津氏久
- 1375年 - 1391年 - 今川貞世
- 1391年 - ? - 大友親世
- 1401年 - 1426年 - 大友親著
- ? - 1446年 - 菊池持朝
- 1446年 - 1466年 - 菊池為邦
- 1466年 - 1469年 - 菊池重朝
- 1469年 - 1482年 - 大友親繁(寛正年間に既に半国守護であったとする説もある[4])
- 1482年 - 1484年 - 大友政親
- 1484年 - 大友親豊(義右)
- 1499年 - 大友親治
- 1501年 - 1516年 - 大友義親(義長)
戦国時代
戦国大名
- 蒲池氏:大友氏の下で柳川城を本城とし、筑後筆頭大名と言われた。大友氏没落後、龍造寺隆信に敗れ、大名としては滅亡。その他の国衆は、筑後十五城を参照。
- 大友氏:豊後を本拠とし、筑後守護も兼ねる。筑後においては龍造寺氏との戦いに敗れ衰退。
- 龍造寺隆信:本拠は肥前。1581年蒲池氏を滅ぼしたが、隆信は1584年に沖田畷の戦いで戦死、肥前に後退した。
豊臣政権の領主
- 小早川隆景・秀秋:筑前・筑後・肥前1郡37万1300石(名島城)、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、備前岡山藩51万石に移封)
- 小早川秀包:久留米13万石、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦いの後、改易)
- 立花宗茂:柳河13万2千石、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦いの後、改易)
- 筑紫広門:山下1万8千石、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦いの後、改易)
武家官位としての筑後守
江戸時代以前
江戸時代
筑後国の合戦
注釈
出典
- ^ 川添昭二・武末純一・岡藤良敬・西谷正浩・梶原良則・折田悦郎『福岡県の歴史 (県史)』山川出版社、1997年12月20日、4頁。ISBN 978-4634324008。
- ^ a b 福岡県統計年鑑 平成22年
- ^ a b 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 586-587。
- ^ 木村忠夫「大友氏の豊後支配」(初出:『熊本史学』42号(1973年)/所収:八木直樹 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第二巻 豊後大友氏』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-122-6)
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