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じょうきゅう-のらん じようきう― 【承久の乱】
1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流、上皇方の公家・武士の所領は没収され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化され、公家勢力の権威は著しく失墜した。承久の変。
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承久の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/29 16:41 UTC 版)
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱である。承久の変、承久合戦ともいう。
- ^ 『吾妻鏡』ではこのほか下野国の小山朝長、下総国の結城朝光も大将軍に任じられたとしているが、『承久記』ではこの事実は見られず、旗下の兵もほとんど甲斐・信濃の出身者で構成されており、東山道軍は甲斐源氏を主体とした軍勢であったと考えられている。なお、乱の論功行賞で甲斐源氏の一族は畿内・西国の所領を与えられており、承久の乱を契機に甲斐源氏の一族は西国へ進出している。
- ^ 坂井法曄「日蓮と鎌倉政権ノート」(佐藤博信 編『中世東国の社会構造 中世東国論:下』(岩田書店、2007年) ISBN 978-4-87294-473-0)
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