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みなもと-のよりいえ ―よりいへ 【源頼家】

(1182-1204) 鎌倉幕府代将軍。頼朝長男実朝の兄。母は北条政子幼名万寿1199年頼朝死により家督継ぎ1202年征夷大将軍に任じられたが、北条時政らに実権を奪われた。義父比企能員(よしかず)とともに北条氏追討企てる失敗伊豆修善寺幽閉謀殺された。


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源頼家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/06 14:40 UTC 版)

源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍鎌倉殿)。鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男。母は北条政子

父頼朝の急死により18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、征夷大将軍となる。若年の頼家による従来の習慣を無視した独裁的判断が御家人たちの反発を招き、疎外された母方の北条氏を中心として十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられた。

合議制成立の3年後に頼家が重病に陥ると、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡する。頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉されたのち、北条氏の手により暗殺された。頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握る事になる。




  1. ^ 『吾妻鏡』で若狭局は愛妾、足助重長女は室と書かれているが、若狭局所生の一幡は嫡子に等しい扱いを受けており、誰が正室かははっきりしていない。
  2. ^ 「修禅寺にてまた頼家入道を刺殺してけり。とみに、えとりつめざりければ、頸に緒をつけ、ふぐりを取りなどして殺してけりと聞えき。」『愚管抄』(巻第六)


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