仁明天皇とは? わかりやすく解説

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にんみょう‐てんのう〔ニンミヤウテンワウ〕【仁明天皇】

読み方:にんみょうてんのう

810850]第54天皇在位833〜850嵯峨天皇の第2皇子。名は正良(まさら)。深草帝とも称する在位中に令義解(りょうのぎげ)の施行日本後紀編集などが行われた。


仁明天皇 深草陵
(にんみょうてんのう ふかくさのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第54
天 皇 名 :仁明天皇
にんみょうてんのう
御   父 嵯峨天皇
御   母 皇后智子
御 陵 名 深草
ふかくさみささぎ
陵   形 方形
所 在 地 京都府京都市伏見区深草東伊達町
交通機関等 京阪藤森下車  東へ1.1km
陵印保管場所 桃山陵墓監区事務所

仁明天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 07:10 UTC 版)

仁明天皇(にんみょうてんのう、810年10月25日弘仁元年9月24日[1]- 850年5月6日嘉祥3年3月21日〉)は、日本の第54代天皇(在位:833年3月22日天長10年2月28日〉- 850年5月4日〈嘉祥3年3月19日〉)。正良(まさら)。


注釈

  1. ^ 本朝皇胤紹運録』では第一皇子、『神皇正統記』・『椿葉記』では第二皇子とする。村田正志は同じ弘仁元年生まれとされている源信が、天皇よりも月日的に先に生まれたとする所伝があったと推測している[2]。ただし、村田説は大同4年(809年)以前に生まれた可能性が高い業良親王の存在に触れていない。
  2. ^ のち、無罪であるとされた。
  3. ^ 属籍を剥奪され出家。文徳天皇の治世に賄料が与えられるようになったがその後も冷遇され、天皇の薬の毒見役などをしていた。貞観8年(866年)に兄弟親王らの上奏により還俗したのちも「源」姓に復帰できず、「貞」姓を与えられた。
  4. ^ 有貞は文徳天皇治世の仁寿2年(852年)に中央に復帰。
  5. ^ 一説に『源氏物語』中の桐壺更衣のモデル。

出典

  1. ^ a b c 遠藤、2022年 P1.
  2. ^ 村田正志『村田正志著作集 第4巻證註椿葉記』(思文閣出版、1984年)P241
  3. ^ 遠藤、2022年 P15.
  4. ^ 遠藤、2022年 P6.
  5. ^ 川尻秋生「陣定の成立」吉村武彦 編『日本古代の国家と王権・社会』塙書房、2014年 ISBN 978-4-8273-1268-3
  6. ^ 『日本政記』
  7. ^ 遠藤、2022年 P113-122.
  8. ^ 伝統色のいろは-Traditional colors of Japan-


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