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常盤御前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/02 08:21 UTC 版)

常盤御前(歌川国芳

常盤御前(ときわごぜん、保延4年(1138年) - 没年不詳)は平安時代末期の女性で、源義朝の愛妾。阿野全成義円源義経(今若、乙若、牛若)の母。字は常葉とも[1]


  1. ^公卿補任』健保六年十二月九日藤能成項においては、能成の母の欄には次のように記され母の本名や母の父親の名前は不詳である。「母半物云々(伊予守義顕母也)」。なお伊予守義顕とは朝廷において改名させられた源義経のことを指す。また誰に仕える「半物」であるかも記されていない。
  2. ^尊卑分脈』『公卿補任』藤能成項
  3. ^ 五味文彦『源義経』(岩波新書)、日下力『古典講読シリーズ 平治物語』(岩波書店)
  4. ^ 五味文彦『源義経』(岩波新書)
  5. ^ 元木泰雄『保元・平治の乱を読み直す』(NHKブックス)、野口実『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』(新人物往来社)
  6. ^ 黒板勝美『義経伝』(中公文庫)においては、頼朝の助命が常盤の三人の子を含む全ての弟達の助命を決定付けたとし、五味文彦『源義経』(岩波新書)では頼朝と希義が流刑で済むなど義朝の遺児に対する平家の追及はさほど厳しいものではなかったとする。野口実『源氏と坂東武士団』(吉川弘文館)においては平治の乱というものの本質が伝統的院近臣と新興勢力信西の対立の結果であり、源平という武門同士の対決の帰結としてみなされていなかった当時の人々の認識が義朝の嫡子頼朝の助命、そして戦闘に加わらなかった全ての弟達(希義、今若、乙若、牛若)の処分に影響したと述べている。岩田慎平は『乱世に挑戦した男 平清盛』(新人物往来社)の中で義朝縁者への待遇はむしろ保護とも見えるもので、これには義朝が信頼一派に巻き込まれただけだという同情が当時の貴族社会にあったのではないかと見ている。また、岩田慎平は、常盤の一条長成との再縁については再縁は懲罰でなないとしている。元木泰雄『河内源氏ー頼朝を生んだ武士本流』では、頼朝の助命の結果が弟たちの助命につながったが、それだけではなく皇統をかけた保元の乱と違い私戦と見なされた平治の乱においては信頼に巻き込まれただけとみなされた人々の関係者に対する処罰はもともと厳しくない方針であり、義朝も巻き込まれた人物とみなされていた為、子や郎党たちに対する処分は最初から厳しいものになるはずはなかったのではないかと見ている。


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