スペインによるアメリカ大陸の植民地化 後世に及ぼした影響

スペインによるアメリカ大陸の植民地化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 09:51 UTC 版)

後世に及ぼした影響

植民地支配体制確立後の中南米社会の様相

ポトシセロ・リコスペイン語版英語版(富の山)。植民地時代にはが、ボリビア独立後にはが採掘された。ポトシの銀はヨーロッパ先進国に流入し、現在の繁栄の礎を築いたが、2007年現在のボリビアは未だに南米で最も貧しい国[2]である。

征服後、スペイン人を頂点とする厳格で抑圧的な植民地支配の体制が確立されていった。征服後の社会でスペイン人たちは圧倒的な社会的、経済的な力をもち、それを背景に多くのインディオ女性をとして性的関係を結ばせた。これによってメスティーソの数がさらに、増加することとなる。また、スペイン人の文化が至上のものとされ、インディオの文化は卑しく醜いものとされた。さらに、アフリカ大陸から多数の黒人奴隷が連行され、北はフロリダ半島から南はラ・プラタ川まで各地で黒人は家内労働やプランテーションでの重労働に従事した。

この征服によって中南米社会の様相は一変し、現在に至るまで続く白人優位の下にメスティーソ、インディオ、黒人といった社会構造が形成された。スペインによって征服された地はインディアス、または、イスパノアメリカと呼ばれるようになった。イスパノアメリカは同時期のポルトガルによる植民地化と併せて、19世紀半ばからこの地域はラテンアメリカと呼称されるようになった。

また、アメリカ大陸とヨーロッパの相互に様々なものがもたらされた。ヨーロッパからアメリカ大陸にもたらされたもので重要なものには、世界宗教としてのキリスト教コムギサトウキビコーヒーなどの農産品、などの家畜車輪、鉄器があり、また、ヨーロッパ人自身も入植者としてそれに含まれる。また、天然痘麻疹インフルエンザなどの伝染病があった。一方アメリカ大陸からヨーロッパには、 メキシコ原産のトウモロコシやサツマイモ、東洋種のカボチャトウガラシアンデス高原原産のジャガイモや西洋種のカボチャ、トマト、熱帯アメリカ原産のカカオなどが伝えられ、スペイン料理イタリア料理などのヨーロッパ諸国の食文化に大きな影響を与えた。その他にはタバコ梅毒も伝えられた。

エンコミエンダ・コレヒドール・ミタと資本流出

征服活動が一段落したのちは漸次制圧地域の安定化が図られ、南アメリカのエンコミエンダ制やコレヒドール制、ミタ制といった植民地支配のための制度の整備は1569年から1581年まで着任したペルー副王フランシスコ・デ・トレドスペイン語版英語版の統治によって完成した。ミタ制でかき集められ、ポトシの鉱山で強制労働に服したインディオは強制労働によって多数死亡し、「鉱山のミタ」はインディオから恐れられた。 ポトシ鉱山は1545年に現ボリビア共和国の南部に当たる地域に発見されたが、その豊富な銀を採掘するためにトレドの改革によって定められたミタ制によってティティカカ湖周辺やクスコから集められた人々は酷使されたのである。トレドは1572年に水銀アマルガム法を導入して銀生産量を上げたが、採掘のために酷使された先住民の多くは苦役の末に死亡し、その数は100万人とも言われる。このようにインディオは奴隷農奴として搾取され、安価で酷使されるプロレタリアートとなってスペイン人の経済活動に奉仕させられた。

イスパノアメリカのポトシグアナファトサカテカスの鉱山ではが、ベネズエラではプランテーション農業でカカオなどが、インディオ黒人の奴隷労働によって生産され、生産された富はスペインでは蓄積されずに戦費や奢侈に使われ、西ヨーロッパ諸国に流入して価格革命商業革命を引き起こした。この重商主義的過程は、大西洋三角貿易によるイギリスバルバドスジャマイカフランスサン=ドマングでの砂糖プランテーションによる収益や、18世紀のゴールドラッシュによりポルトガル領ブラジルポルトガル語版英語版からイギリスに大量に流出したと共に、西ヨーロッパ諸国の資本の本源的蓄積を担い、オランダイギリスにおける産業資本主義の成立と、それに伴うヘゲモニーの拡大を支えた。

一方、ヨーロッパの繁栄とは対極にラテンアメリカ現地では資本流出により経済の従属と周辺化が進み、僅かに残った資本もスペイン同様奢侈に使われ、蓄積されることがなかった。鉱山やプランテーションでの重労働により民衆の困窮も続いた。エドゥアルド・ガレアーノ西インド諸島での奴隷貿易や、砂糖プランテーションによる西ヨーロッパ諸国の資本の本源的蓄積と併せてこの過程をこう述べている。

「この全過程は、たとえて言えば、ある一式の血管から別の血管にポンプで血液を注入する過程だった。すなわち今日の開発の進んだ国々は開発を進め、他方、開発の遅れている国々は低開発を開発していったのである。[3]

改宗

バルトロメ・デ・ラス・カサス神父。バリャドリー論争のような困難の中でもインディオを擁護した

インディオへのカトリックの布教も大々的に進められ、キリスト教への改宗と、インティパチャママへの信仰といった本来のインディオの信仰の廃棄が暴力を背景として進んだ(強制改宗)。一方でイエズス会布教村落が築かれたパラグアイなどではスペイン・ポルトガル王権からのインディオの保護が進んだ。

征服当初からの疫病(インディオは旧大陸の病気に免疫を持たなかった)、戦争、強制労働によって15世紀から17世紀までの間に数千万人単位のインディオの命が失われ、カリブ海の大アンティル諸島のようにインディオが絶滅した地域もあった。どれだけの人口減があったかは定かではないが、少なくともペルーでは、インカ帝国時代に1000万を越えていた人口が1570年に274万人にまで落ち込み、1796年のペルーでは108万人になった(数字はH.F.ドビンズの推計による)[4]

また、このような征服事業は思想的な正当化が図られた。初期においてはキリスト教信仰と、「半人間」である非キリスト教徒のインディオへの改宗事業によって思想的な正当化が図られた。これに対し、1537年にローマ教皇パウルス3世が「新大陸の人間は真正の人間である」と宣言し、インディオへの非人道的対応を改めるようカトリック教会の立場を打ち出したが、人文主義者ファン・ヒネス・デ・セプルベダのように、教皇の宣言を認めない人物も現れた。これに対し、バルトロメ・デ・ラス・カサス神父のように、キリスト教の立場からインディオ文明を擁護したスペイン人も少数存在したが、植民地支配体制を揺るがすことは出来なかった。キリスト教の後に犯罪の思想的正当化の試みは啓蒙主義自由主義によって行われ、フランシス・ベーコンシャルル・ド・モンテスキューデイヴィッド・ヒュームらはインディオを「退化した人々」とし、ヨーロッパ人による収奪を正当化した[5][6]。19世紀に入ると、「近代ヨーロッパ最大の哲学者」ことヘーゲルはインディオや黒人の無能さについて語り続け、近代哲学の立場から収奪を擁護した。19世紀後半には社会進化論などの様々な立場から、インディオやメスティーソ、黒人に対する収奪を近代科学によって正当化する試みが進んだ。

黒い伝説

「黒い伝説」とはスペイン人による新大陸征服を、政治的プロパガンダの下に否定的に伝えたものである[7]。これによれば、コンキスタドーレスの初期のアメリカ大陸での基本方針は、レコンキスタ終焉後の宗教的熱狂から来るキリスト教の布教と、入植することよりもまず黄金や財宝をかき集めることにあった。コンキスタドーレスはマヤ文明アステカ文明インカ文明といったアメリカの文明を破壊してを奪い、莫大な富をスペインにもたらした。この過程で多くのインディオが虐殺され、キリスト教への改宗事業が進み、また、インディオ女性に対する強姦が横行し、さらに、ヨーロッパ由来の疫病が免疫のない多数のインディオの命を奪った。スペインにもたらされた富はスペインの王侯貴族による奢侈や、オスマン帝国オランダイギリスといった勢力との戦費に使用されてその多くがスペインから流出した。これは後の重商主義による奴隷制プランテーション大西洋三角貿易ポトシグアナファトサカテカスミナスジェライスの鉱山からの金や銀の流出に先駆けて、オランダイギリスにおける資本の本源的蓄積の原資を担った。

スペインは南米侵略以降、暴虐の限りを尽くし、サント・ドミンゴプエルトリコジャマイカキューバなどを征服。その先住民およそ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果、ほとんどが絶滅してしまった。純血は確実に絶滅してしまったため、いまでは白人と黒人で成り立っている。 またインカ帝国マヤ帝国アステカ帝国はスペイン人の植民地政策による虐殺またはヨーロッパからもたらされた疫病により人口が激減し、例えば最大で1600万人存在していたインカ帝国の人口は108万人まで減少。アステカ帝国の領域では、征服前にはおよそ1100万人であったと推測される(2500万人とする説もある)先住民の人口が、1600年の人口調査の結果では、100万人程度にまで激減した。

スペインはその植民地政策において、アメリカ合衆国・カナダとは比べ物にならない数の先住民を一掃してしまった。生き残った先住民も侵略者である白人と黒人奴隷との混血が進んだ。


  1. ^ 落合一泰「アメリカ大陸の征服とヨーロッパ移民の到来」『民族交錯のアメリカ大陸』 大貫良夫(編)山川出版 1984
  2. ^ 「対ボリビア国別援助計画第一次案」平成19年 日本国外務省のホームページより 2009年4月8日閲覧
  3. ^ 引用文はエドゥアルド・ガレアーノ(著)、大久保 光夫(訳)『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』新評論 1986 p.162より引用
  4. ^ 増田義郎・柳田利夫(著)『ペルー 太平洋とアンデスの国 近代史と日系社会』中央公論新社 p.13
  5. ^ エドゥアルド・ガレアーノ『ラテンアメリカ五百年 収奪された大地』大久保 光夫訳 新評論 1970,1986 pp.102-104
  6. ^ 「ヒュームと人種主義思想」『奈良県立大学研究季報』 2002
  7. ^ 黒い伝説”. コトバンク. 2016年2月25日閲覧。





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