コロンブスの航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:34 UTC 版)
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「コロンブスの航海」の解説
「クリストファー・コロンブスの航海(英語版)」および「スペイン領西インド(スペイン語版、英語版)」も参照 レコンキスタが終焉し、スペインからイスラム勢力が消滅した1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」して以降、スペイン人はカリブ海やその近辺の大陸に対する機会を生かそうと考えた。1494年にローマ教皇アレクサンデル6世の仲裁によってスペインとポルトガルの間にトルデシリャス条約が結ばれ、スペインは「新大陸」における征服の優先権を認められた。トルデシリャス条約では新たに征服される土地と住民はスペイン国王に属すこととされ、スペイン国王の代行者たるパシフィカドール(鎮定者)は、既に成立した条約に基づいて先住民を服従させるか鎮定する役割を担った。このトルデシリャス条約のため、スペイン人が先住民に出会った際に、先住民に対しての選択肢は征服以外に存在しなくなり、このことがポルトガルやイギリス、フランスによるアメリカ大陸の征服とスペインのそれの特徴を大きく異なったものとした。 トルデシリャス条約により、スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達はコンキスタドール(征服者)と呼ばれた。また、コロンブスが到達した地に居住していた人々は、自らがインドに到達したと思ったコロンブスによってインディオ(インド人)と呼ばれたため、以降アメリカ大陸の人々はヨーロッパ人によってインディオやインディアンといった呼称で呼ばれるようになった。
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