ヨーロッパ人による再発見と植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 08:05 UTC 版)
「アメリカ大陸史」の記事における「ヨーロッパ人による再発見と植民地化」の解説
詳細は「先コロンブス期」および「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化」を参照 アメリカ大陸にインディアンが到着してから数千年後に、この大陸はヨーロッパ人によって「再発見」された。当初ヴァイキングがニューファンドランド島に短期間の開拓地を設立し、現在ではランス・オ・メドーと呼ばれている。旧世界による新世界の発見については他にも推測が成されているが、そのどれも証明されていない(アメリカ大陸の発見を参照)。 1492年のクリストファー・コロンブスの航海によって、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化と先住民の民族浄化が起こった。コロンブスの航海は、航海技術と通信の発展によってその航海の内容を容易に報告でき、西半球に報せることのできるようになった時代に行われた。それは経済競争の激しくなった時代でもあり、各国は競って植民地を造った。 奴隷化、疫病および戦争による先住民の大量死はアメリカ大陸住人の人口や民族意識に大きな変化をもたらした。ヨーロッパ人の侵略によって殺されたアメリカの奴隷労働者は、奴隷貿易を通じてサハラ以南のアフリカから連れてきた労働力で置き換えられた。先住民は次第に少数派となり、ヨーロッパ人とアフリカ人奴隷の数が急速に増加した。アメリカの白人による支配は18世紀後半にアメリカ合衆国で始まったヨーロッパ支配からの独立が拡がる時代を通じて続いた。 しかし、イギリスとスペインの支配地域と植民地化の方法にはかなりの違いがあった。先住民がアメリカ大陸中で死、奴隷化および搾取を味わい、ほとんどどこでも事実上絶滅した一方で、中央アメリカや南アメリカの多くの国では先住民がメスティーソと共に多数民族となっている。さらに重要なことは、南アメリカでは北アメリカに比べてヨーロッパ諸国による植民地化前よりも先住民人口が増えていることである。 アメリカ合衆国における先住民の人口は、実際の人口増加、参入法の変化、および特にメキシコなどラテンアメリカからの移民によって、現在も増え続けている。ただしラテンアメリカからの移民はヒスパニックやラティーノと呼ばれている。
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