ヨーロッパ人による「発見」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:00 UTC 版)
「鬱陵島」の記事における「ヨーロッパ人による「発見」」の解説
「竹島外一島」も参照 1787年、フランスの探検家ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガローが鬱陵島に到着して、これを「ダジュレー(Dagelet)島」と名付けた。1789年にはイギリスの探検家ジェイムズ・コルネット(英語版)も対馬海峡から日本海に入り、その後、北上して鬱陵島を「発見」したが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と命名した。しかし、コルネットが測定した鬱陵島の経緯度には測量ミスにより実際の位置とのズレがあったため、その後、ヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島の北西に別の島があるかのように記載されることとなった。そのため、1840年頃から、西洋や日本では島名の混乱により鬱陵島を「ダジュレー島/松島」と呼んでいた。
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