ヨーロッパ人が見たティムール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:40 UTC 版)
「ティムール」の記事における「ヨーロッパ人が見たティムール」の解説
ティムールはルネサンスから近代にかけてのヨーロッパ世界に強烈な印象を与えた。15世紀のヨーロッパの人々はティムールの事績に魅了され、また恐れを抱いた。 15世紀のヨーロッパには、ティムールの急速な勢力の拡大と各地での残虐行為に対して不安を抱いた人間と、ティムールをヨーロッパ世界の同盟者として歓迎する人間が混在していた。アンカラの戦いでティムールがバヤズィト1世を破った時、彼がオスマン帝国の手からキリスト教徒を守るために戦ったと思って称賛の言葉を送る者もおり、フランス王シャルル6世やイングランド王ヘンリー4世は彼を同盟者と見なしていた。オスマン帝国の勢力が減衰したためにキリスト教国の商人が中東での商業活動を続けることができ、ティムール軍が商人の帰国を支援したため、シャルル6世とヘンリー4世はよりティムールに信頼感を抱いた。キリスト教徒の中には、ティムールが中東での巡礼の安全を確保するために戦ったと考えた者もいた。 一方で、ティムールをヨーロッパ文明とキリスト教の両方を破壊する蛮族と見る国もあった。ティムールの台頭に対して、カスティーリャ王エンリケ3世のように個人的に使者を送り、情報の収集と同盟の締結を図った君主もいた。また、戦争を回避するためにティムールのキリスト教への改宗が試みられたこともあった。 16世紀末のイギリスの作家クリストファー・マーロウは、1587年にティムールの生涯を題材とした戯曲『タンバレイン大王』を発表した。この戯曲でマーロウは、ティムールを既成の価値観を打破する英雄として描き上げている。16世紀のヨーロッパで書かれた物語性の強い歴史書が戯曲の下敷きとなっているため、タンバレイン大王と史実のティムールの生涯には大きな相違がある。
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