スペインのサッカーの問題点とは? わかりやすく解説

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スペインのサッカーの問題点

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/02 16:16 UTC 版)

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この項では、スペインサッカーについて記す。スペインでサッカーはもっとも人気のあるスポーツであり、全国的な統括組織であるスペインサッカー連盟(RFEF)がリーガ・エスパニョーラ(全国リーグ)、コパ・デル・レイ(全国カップ)を主催し、スペイン代表を組織している。スペイン代表はFIFAワールドカップで1回、UEFA欧州選手権で3回優勝している。

歴史

スペインに現代的なサッカーがもたらされたのは19世紀後半であり、イギリス出身の移民労働者、他国からスペインを訪れた船員、イギリスから帰国したスペイン人学生などがサッカーを紹介した。スペイン最古のサッカークラブはアンダルシア州ウエルバを本拠地とするレクレアティーボ・ウエルバであり、1889年12月23日にマッキー博士とティント川会社で働いていたイギリス人労働者によって創設された。1886年にはジムナスティック・タラゴナが、1890年にはセビージャFCが創設されたが、これらのクラブはそれぞれ1914年、1905年まで実際のサッカーチームを持たなかった。スペイン最古の公式試合は1980年3月8日にセビージャのタブラーダ・イッポドローメで行なわれ、レクレアティーボとセビージャ・ウォーター・ワークスで働いていた労働者から成るセビージャFCが対戦した。レクレアティーボの2人のスペイン人を除けば全員がイギリス人であり、このような理由でセビージャFC(英語のFootball Club)はセビージャCF(スペイン語のClub de Fútbol)を名乗らなかった。試合はセビージャFCが2-0で勝利した。1890年代初頭のバスク地方では造船所や鉱山で働くイギリス人労働者たちがビルバオFCを創設し、イギリスから帰国したバスク人学生がアスレティック・クラブを創設し、やがて両クラブは合併してアスレティック・ビルバオとなった。初期のスペインサッカーにおけるイギリスの影響は、レクレーション・クラブ(Recreation Club)、アスレティック・クラブ(Athletic Club)、フットボール・クラブ(Football Club)、レーシング・クラブ(Racing Club)などクラブ名への英語の使用に残っている。

レアル・マドリードFCバルセロナは、国内大会と国際大会でもっとも大きな成功を収めているクラブである。両クラブ合わせて13回のUEFAチャンピオンズリーグ優勝、3回の同大会準優勝を記録している。9回優勝しているレアル・マドリードは同大会の最多優勝クラブであり、UEFAカップでも2度優勝している。バルセロナは1年間に主要大会6冠(プリメーラ・ディビシオンコパ・デル・レイスーペルコパ・デ・エスパーニャUEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップUEFAスーパーカップ)を達成した世界初のクラブである。

男子

全国カップ

1902年、首都マドリードに本拠地を置く数クラブが合併してマドリードFC(現在のレアル・マドリード)が創設された。同年、後にマドリードFCの会長になるカルロス・パドロスは、アルフォンソ13世の戴冠を祝うサッカー大会の開催を提案し、コパ・デル・アジュンタミエント・デ・マドリード(マドリード市役所カップ、コパ・デル・レイの前身大会)が開催された。カタルーニャ地域からはFCバルセロナクラブ・エスパニョール・デ・フトボル(現在のRCDエスパニョール)が参加し、バスク地域からはクラブ・ビスカヤ、マドリードからはニュー・フット=ボール・デ・マドリード(現在のレアル・マドリード)の計4クラブが出場した。この大会はFCバルセロナとレアル・マドリードが初めて顔を合わせた大会であり、FCバルセロナが3-1で勝利した。クラブ・ビスカヤはバスク地方の2クラブの選手から成る合同クラブであり、決勝でFCバルセロナを破って優勝した。アルフォンソ13世は多くのクラブのパトロンとなり、クラブ名に「レアル」(Real)という接頭辞を使用する許可を与えた。マドリードFCはレアル・マドリードとなり、その他にもレアル・サラゴサレアル・バリャドリードレアル・オビエドレアル・ベティスレアル・ソシエダなどがクラブ名に「レアル」を冠している。

スペイン代表

スペイン代表が創設される前には各地域の代表チームが存在し、1915年以降には特にカタルーニャ選抜バスク選抜ガリシア選抜などが互いに競い始めた。国際サッカー連盟(FIFA)や欧州サッカー連盟(UEFA)には登録を認められていないものの、各地域選抜は現在でも活動しており、各国代表と親善試合を行なうなどしている。スペイン代表と各地域選抜の両方でプレーする選手も多い。

一般に「ラ・セレクシオン」(la selección)と呼ばれるスペイン代表は、1920年のアントワープオリンピックに出場するために創設され、この大会では銀メダルを獲得した。スペインのサッカーは1926年にプロ化した。

全国リーグ

1927年4月、アレナス・クルブ・デ・ゲチョのアルバロ・トレホ会長は、初めて全国リーグを創設することを提案した。リーグの規模や参加クラブについて多くの議論が重ねられ、スペインサッカー連盟(REFE)は1928年に10クラブでプリメーラ・ディビシオンを初開催することを決定した。コパ・デル・レイでの優勝経験があったFCバルセロナレアル・マドリードアスレティック・ビルバオ、アレナス・クルブ・デ・ゲチョ、レアル・ウニオンの5クラブはすべて創設メンバーに選出され、同大会での準優勝経験があったアスレティック・マドリードRCDエスパニョールCEエウロパの3クラブも創設メンバーに選出された。トーナメント方式の大会でセビージャFCを破ったラシン・サンタンデールが最後の10クラブ目に選出された。レアル・マドリード、FCバルセロナ、アスレティック・ビルバオの3クラブはプリメーラ・ディビシオンから降格したことがなく、さらにセビージャFC、レアル・ソシエダスポルティング・ヒホンバレンシアCF、RCDエスパニョール、アトレティコ・マドリードの6クラブはセグンダ・ディビシオンから降格したことがない。

女子

スペインで女子サッカーはマイナースポーツであり、伝統あるサッカー大国ではない[1][2]プリメーラ・ディビシオン・フェメニーナ(女子1部)という全国リーグ、コパ・デ・ラ・レイナという全国カップが行なわれている[3]スペイン女子代表UEFA欧州女子選手権に1987年大会予選から参加し、6回目の挑戦となった1997年大会で初めて本大会に出場した。1997年大会ではベスト4となったが、以後は3大会連続で予選敗退に終わっている。

問題点

  • 八百長が横行していると一部から指摘されている。デポルティーボ・ラ・コルーニャ会長は2013年5月9日、一部チームが金銭の授受によってクラブの2部降格を避ける手段が蔓延していると発言している[4]
  • スペインのスポーツ界には、長年、ドーピングに甘いという評価がつきまとっている[5]。サッカーも例外ではなく、スペインの新聞マルカは、スペインリーグで行われるドーピング検査が緩いと指摘しており、検査はコストの問題で全選手の数%ほどしか実施されず、また最新のドーピング検査方法も取り入れていない[6]

脚注

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