5七銀型振り飛車とは? わかりやすく解説

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振り飛車

(5七銀型振り飛車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/30 05:30 UTC 版)

将棋 > 将棋の戦法 > 振り飛車

振り飛車(ふりびしゃ)は、将棋の二大戦法の一つ。序盤において、初形で右翼にある大駒の飛車を左翼へ展開するもの。この反対は居飛車で、飛車を右翼の定位置の筋のまま攻める。

振り飛車が居飛車と戦う戦型は対抗型と呼ばれる。両対局者が共に振り飛車にすると相振り飛車となり、対抗型とは異なる展開となるが、本項では対抗型における振り飛車を中心に記述する。

概要

振り飛車は飛車を動かす場所により、中飛車四間飛車三間飛車向かい飛車の4つに大別される。

振り飛車の分類
中飛車 四間飛車 三間飛車 向かい飛車
飛車を振る筋:
左から5番目(5筋)
飛車を振る筋:
左から4番目(先手6筋・後手4筋)
飛車を振る筋:
左から3番目(先手7筋・後手3筋)
飛車を振る筋:
左から2番目(先手8筋・後手2筋)
最序盤の例:
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
                 
                 
                 
                 
                 
         
   
         
       
最序盤の例:
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
                 
                 
                 
                 
                 
         
   
         
       
最序盤の例:
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
                 
                 
                 
                 
                 
         
   
         
       
最序盤の例:
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
                 
                 
                 
                 
                 
           
 
         
       

振り飛車側は、これらの飛車を振る筋に応じて様々な戦法がある。特に、どの筋に飛車を振る場合でも、角交換を防ぐために角道を閉じて駒組をする角道クローズドと、必要なときに角交換できるように角道を開けたままにして、角交換を利用して駒組をする角道オープンと、どちらにするかを選択することができる。

そして角道クローズドでは、途中から角道を開けて角交換を迫る振り飛車と、角を交換せずに捌いて指す振り飛車とに、角道オープンでは、角交換をせず角道を開けたまま主導権を握って、駒をさばいていく振り飛車と、振り飛車側から角交換をして、駒組を進める角交換振り飛車とに、選択が可能である。

なお、上図では戦型について理解しやすいように角道クローズドのノーマル系▲6七銀型を記載した(角交換系については角交換振り飛車の記事を参照)。

角道オープン・角交換振り飛車は、90年代まではB級戦法扱いで、[力戦型]や[力戦系]などと呼ばれる特殊戦法であったが、その後は受け身意識が強かった角道クローズドに比べて、積極的な態勢や近代的な構想で局面をリードできるとこちらが流行戦法となり、さらに振り飛車の主流戦法と化した。一方で、角道を止め続ける角道クローズド振り飛車は、むかしからの標準的なという意味でノーマル振り飛車と呼ばれるようになり、一時は棋界で過去のものとなったかと思われていた[1]

角道オープン・角交換振り飛車や、角道クローズドで角道をあけ交換を迫る指し方は、居飛車穴熊など、角交換を避ける対振り飛車戦法が台頭してきたため、こうした現象が起こることになった。穴熊側が角交換を避けるのは、陣形的に大駒の打ち込みに弱く、また重要な攻防の駒が交換によって、盤上から早々と消える状態になるのは、戦法の特質を損なうことになるためである。このため、ノーマル系の陣においても、振り飛車が角道が開いた状態で、相手の陣を角が睨んで指すことが可能となっていった。

△居飛車 持ち駒 なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
   
         
   
             
                 
               
 
             
 
△居飛車 持ち駒 なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
             
   
               
             
               
 
               
△居飛車 持ち駒 なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
   
         
   
               
             
               
 
             
 
△居飛車 持ち駒 なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1  
             
     
             
               
             
 
             
 

上図は角交換振り飛車と角道オープン振り飛車の、ほんの一例である。棋戦で盛んに指されるようになるのは90年代後半以降であって、この最序盤の形自体は、流行する以前から時たま指されていたに過ぎず、定跡などが定まらない力戦型の振り飛車などといわれていた。ところが、局面の研究が進んだことで新たな手筋や有利となる手段が発見され、居飛車側も振り飛車が、これらの布陣であると居飛車穴熊が組みにくいこともあって、流行するに至った[2]

歴史

黎明期

振り飛車がいつごろ考案されたのかについては分かっていない。しかし将棋史上最も古い棋譜である、初代大橋宗桂本因坊算砂の対局で既に振り飛車(二枚銀向かい飛車)が指されていることから、少なくとも江戸時代初期からある戦法ということは分かっている。

湯川(2005)は、上記の初代宗桂と算砂の対局に始まり、三代伊藤宗看七世名人、五代伊藤宗印、大橋宗英九世名人、大橋柳雪天野宗歩、関澄伯理[3]らの振り飛車局を紹介している。

江戸初期、将棋の主流は先手居飛車対後手振り飛車であったようである。居飛車系の将棋も指されていないわけではないが、同時期に残されている棋譜では、かなりの割合を振り飛車が占める時代である。対局者で後手が飛車を振る将棋もしくは先手も振る相振り飛車がほとんどで、居飛車となるようなオープニングでも、そのうちに後手が飛車を振ることが多かった。

江戸初期では、振り飛車側も居飛車側も、角道を止めて▲6七銀▲5七銀かもしくは▲5七銀▲4七銀の二枚銀に構えるのが一般的であったようである。このため、振り飛車の囲いは早囲いから銀を中央に並べる陣がまず基本となっていた。その他の有力な仕掛けとしては、二枚銀の他には右銀を腰掛銀早繰り銀にして、浮き飛車+▲3七桂という布陣である。他には四間飛車に居飛車側も右四間飛車にする相四間飛車が指されていた。矢倉引き角なども指されている。

今日まで残る早仕掛けは、▲7九銀型舟囲いでの仕掛けの原型としては、幕末期に天野宗歩らによって定跡化され示されていく。

江戸中期以降は平手で指すのは損な戦法と考えられており、もっぱら駒落ち(特に左香落ち)で弱点となる左辺を守るための戦法として使われていた。既にこの時代から、1947年に棋士の公式戦で駒落ち対局の廃止が実施されるまで、棋力差のある棋士同士での駒落ちも盛んに行われ、特に振り飛車を用いる左香落ち上手の他は、角落ちや二枚落ち下手の振り飛車がみられた。二枚落ちの代表的陣形の銀多伝+中飛車などは明治時代以降からみられるようになったのである。

当時の棋譜をみると、振り飛車に対する居飛車の攻め方も、どのように指して良いかはわからず、手探りであり、幕末までには当時の定跡化された今日古典的とされる仕掛けの手法や工夫が生み出されていく、といった状況であった。

明治期から昭和戦前期まで

明治に移り変わる頃から昭和戦後まで、将棋界では平手では相掛かり戦法』が流行に至るが、振り飛車もときたま見られた。対する当時の居飛車の指し方や考え方も、構えはこんにちにおける急戦の構えであるが、仕掛けはお互いが陣を組んでからの持久戦であったし、振り飛車側もじっくり守る振り飛車を志向し、攻撃態勢つまり左側を整えてから、玉を囲っているほどである。当時の振り飛車の考えも、居飛車側が急戦にはこないということが前提としてあった。どうせ持久戦になる、それなら先に玉を囲っても金銀を上げていっても同じという常識が生じていた。

明治期から、湯川(2005)の書は、吉田一歩や坂田三吉の振飛車の代表局が続き、戦後の振り飛車党棋士の名局が紹介されている。 ただし坂田は一時期東京の将棋界と袂を分かち、棋戦対局よりも指導方面の活動が中心となっていたこともあって、後に復帰するまで棋譜がみられない。

昭和初期の対振り飛車も、江戸時代から明治時代の延長したような感覚が残っていた。

当時の平手戦も居飛車万能時代で、振り飛車というのは木見金治郎らが△2二飛-4三金型を愛用し時々指しているくらいで、大阪流、関西流といわれて軽んしられていた。ほとんどの棋士は振り飛車には見向きもしなかった時代である。

木見門下の升田(1980年)も三間飛車に関する自著で[4]、昔は三間飛車に限らず、昔の振飛車というのは、居飛車の攻めを受けて受けて、受けまくり、居飛車の間違いを誘って勝つというのが定説だったわけで、振飛車戦法というものの評価が低かったとし、振った自分からは攻めず、ジッと相手の攻めを待つのみということで、消極的戦法の烙印を押され、あまり振飛車戦法を指す人がいないため、当時若い者が振飛車をやろうものなら「若いのに消極的で、先行きロクなものにならん」との酷評を受けたというが、当の升田も当時の振飛車の将棋スタイルとは、玉を堅くしておいて徹底的に待つだけ、といった単純な戦法だったので、酷評されても仕方のないところもあったとみていた。

木見門下では、角田三男は振り飛車もちいることは少なかったが、升田ら他の弟子たちは振り飛車を用いて、戦後活躍をし始めることになる。東京では土居市太郎とその門下が振り飛車を愛用してはいた。

こうした状況下であったので、当時対振り飛車の研究も進んでいなく、居飛車側は平手で振り飛車と対峙した際、香落ち下手の感覚で指していたようである。

その後実力制の名人戦が開始され、1938年(昭和13年)に木村義雄が新名人となると、この時代段位差で名人は八段とは半香の差で戦っていた。平手と左香落ちの中間として半香つまり2対局のうち1局が香落ちとなる手合いである。花田長太郎、土居市太郎、萩原淳といった強豪棋士らも、名人木村との対局では、1局は左香落ち下手で指すことになる。当然上手の木村は振り飛車であるが、この香落ち振り飛車で木村は八段らに勝ちまくっていた。とくに戦型は「木村不敗の陣」と呼ばれた、△3五歩-3四銀型構えと、後に木村美濃と称される金美濃囲いの組み合わせが知られる。八段が香落ちでぶつかっても勝てない木村は、相撲の双葉山と並び称されていく。

昭和時代戦後

昭和も戦後になって振り飛車をプロの一線級に復活させたのが、戦前から戦後にかけて活躍した大野源一である。

大野は、前述の升田の兄弟子であり、独自の研究によって振り飛車が香落ちだけでなく、平手でも通用することを明らかにした。特に、この消極的な振飛車に積極さを取り入れ、当時振飛車なんかといっていた者を次々倒して自身を売り出し、升田にしてこの人の振飛車は絶品、全盛時の捌きは芸術品といえるものといわしめた。(「捌く」とは、駒をよく働かせることを指す将棋の専門用語である。盤上の駒を持ち駒にすることによって働きが増すと考えられる場合は、駒を交換することもまた「捌き」の一つである)さらにその後の振飛車ブームの原因を、大野からとしている[4]。特に、三間飛車の神様として知られた大野は、この振り飛車特有の捌きが見事で、棋戦でも順位戦A級でも、その振り飛車でよく勝っていたのである。

ただし、この頃はまだ大野も手探りだったようで、その後大野の代名詞になる△5三銀型だけではなく△4三金型との組み合わせや、△4三銀型も使い、また美濃囲いも端歩を受けないなど、手探りで色々な工夫を凝らしていた。また、大野は美濃囲いを高美濃にはしなかった。持久戦になっても腰掛銀からダイヤモンド美濃にしてはいたが銀冠にはせず、美濃囲いの玉の上に左銀を持っていく銀冠美濃としていた。これはその後弟弟子の大山康晴が愛用した。

棋風も「わしの将棋は飛車を成れば指せる」として、駒損しても飛車を敵陣に侵入する指し方を重視した。

こうした結果大野が振り飛車で勝ちまくってきて、居飛車側の対振り飛車対策が研究しはじめられ、居飛車側からいろいろな対策が生まれていくのである。

大山・升田時代

さらに、大野の弟弟子である升田幸三大山康晴両巨頭らがこれを流行させ、振り飛車は再びプロの戦法として認識されるに至った。特に、升田は、升田式向飛車升田式石田流を考案し、後に流行する角交換も辞さない攻撃的振り飛車の魁となった。

振り飛車が一躍脚光を浴びたのは、駒組が容易なうえ、左辺に飛角を集めることで右辺で自玉を効率的に守れる(短手数で固い美濃囲いが構築できる)こと、角筋で敵玉方向を睨んでいるので、居飛車側が簡単に固い囲いを構築できないこと、互いの玉が互いの飛車から遠い側に囲われるので、相居飛車とは異なり、一度の攻めで勝負が付くことはないことなどのメリットがあるためである。がこれらのメリットゆえに、振り飛車側は、相手に攻めさせて、その反動で駒を捌いていけば、最終的に玉の堅さを活かして勝つことができるというものであった。

また、居飛車に比べて覚えるべき定跡が少ないという点もアマチュアに受け、「振り飛車党」と呼ばれる遣い手たちが棋界を席巻した。

居飛車穴熊・左美濃による苦境

しかしその後居飛車党の田中寅彦南芳一らによって、仕掛けの権利を握ったまま振り飛車側の美濃囲いと同等以上に固く囲うことを可能にし、振り飛車のカウンターを封じる居飛車穴熊左美濃が普及し、単純な捌き合いでは勝てないことが増えたことから、振り飛車党の棋士は一時なりを潜めた。故にこれ以降の振り飛車は、前述のような戦い方だけではなく、居飛車穴熊をいかに克服するかをテーマに多様な戦い方をする戦法となっている。

平成時代

藤井システム・ゴキゲン中飛車の登場(1990年代~2010年代前半)

居飛車穴熊・左美濃の対策として注目を集めたのが、藤井猛が考案し、1998年に竜王位を奪取する原動力となった四間飛車の藤井システムである。藤井システムは、居飛車穴熊囲いが組まれる寸前に総攻撃を仕掛けるという攻めの戦法であり、カウンターを狙う受けの戦法と考えられていた振り飛車の概念を覆し、「振り飛車の革命」と呼ばれた。

また藤井システムと前後して角交換も可能な「攻める中飛車」と呼ばれるゴキゲン中飛車が台頭してからは中飛車も流行するようになり、その流行ぶりは居飛車党が後手番で主導権を握るための戦術として採用するほどであった。従来振り飛車では、角は敵玉を睨むと同時に相手の飛車先を受けるために使っているため、角交換は損とされていた。しかし、居飛車穴熊への対抗策として、駒が偏るので打ち込みの隙が多いという穴熊の弱点をつくために角交換を可能にしたのがゴキゲン中飛車の特徴である。

その後も居飛車穴熊対策として、升田式石田流を改良した新石田流・角交換四間飛車ダイレクト向かい飛車などの角道を止めずかつ積極的に角交換していく振り飛車が注目され、プロの振り飛車党の間で流行した。

横山泰明戸辺誠など若手の振り飛車党が急増したのに加え、居飛車党である佐藤康光深浦康市が飛車を振るようになるなど振り飛車の勢力が拡大。さらに将棋界の第一人者である羽生善治がタイトル戦という大舞台でも後手番で振り飛車を選択するケースが増えた。

こうした対抗系を前提に振り飛車党を名乗る棋士への対策として、居飛車党が相居飛車の感覚を求めて相振り飛車にするような戦略も生じ、振り飛車党も相振り飛車をマスターする必要性があった。

2010年代後半~

人間を上回ったコンピュータ将棋は居飛車を評価し振り飛車を評価しない傾向であることが知られており、振り飛車冬の時代が訪れた[5]

広瀬章人永瀬拓矢など、元来は振り飛車党であった棋士が居飛車党に転向する事例も多く、純粋な振り飛車党は減少傾向となった。

令和時代

2020年代前半~

タイトルは藤井聡太を筆頭に居飛車党が占めることが多くなった。

2020年からは居飛車党だった佐藤天彦が振り飛車を多用するようになり、2023年には豊島将之が時折、振り飛車を採用するようになったことで、居飛車一辺倒になるかと思われたトップ棋士の情勢に変化が見られた。

同年には振り飛車党の菅井竜也叡王戦王将戦とタイトル戦の挑戦権を2回獲得。しかし、2023年は藤井聡太が八冠全冠制覇を達成した年でもあり、居飛車党がタイトルを独占する状況に変化は見られなかった。

コンピュータ将棋ソフトでは、振り飛車研究の動きが高まった。対振り飛車は期待勝率が上がるが、必勝と言えるものではない[6]。将棋ソフトどうしの対局では、居飛車局面が頻出するため対振り飛車の学習ができず、強豪ソフトでも対振り飛車に比較的弱いソフトもあった[5]。将棋ソフトでの研究結果から角換わり先手必勝説が提唱され、変化が激しく定跡が作りにくい振り飛車が再評価された[6]。2024年、第5回世界将棋AI電竜戦で振り飛車党将棋AIの「HoneyWaffle」が後手番で善戦し、9位となる[7][8]

振り飛車の戦法

振り飛車の囲い 

振り飛車党

振り飛車を主に採用する棋士は「振り飛車党」と呼ばれる。

主な振り飛車党の棋士

  • 大野源一 - 現代振り飛車の祖であり、「振り飛車の神様」の異名を持つ。▲5七銀(△5三銀)型三間飛車での捌きを得意とした。升田幸三大山康晴大内延介久保利明近藤正和 に大きな影響を与えた。
  • 松田茂役 - ツノ銀中飛車からの力戦を得意とし、「ムチャ茂」の異名をとった。大野と並ぶ現代振り飛車の祖。
  • 升田幸三 - 升田幸三は升田式石田流や升田式向かい飛車などの角交換振り飛車を得意とした。独創的な棋風で新手一生を掲げた。
  • 大山康晴 - 元々は正統派の居飛車党であったが、大野の影響により振り飛車党に転向した。相振り飛車は極端に嫌っており、相手が飛車を振った時は必ず居飛車で対抗しているため、対抗型党ともいえる。四間飛車隆盛のもとを築いた。
  • 大内延介 - 振り飛車穴熊やツノ銀中飛車を得意とする。
  • 森安秀光 - 「だるま流」と称される粘り強い指し回しは、後進の棋士に強い影響を与えた。
  • 小林健二 - 「スーパー四間飛車」の著者。
  • 伊藤果 - 風車戦法の創始者。
  • 中田功 - 三間飛車における中田功XPの創始者。その棋風はコーヤン流と称されトッププロにも高評価を受けている。
  • 杉本昌隆 - 四間飛車を得意とする。「相振り革命」シリーズの著者でもある。
  • 藤井猛 - 振り飛車に革命を起こした藤井システムの創始者。四間飛車を得意とする。対抗型における居飛車も高勝率を誇る。序盤研究は緻密かつ独創的で、棋界一とも言われている。大駒を切って駒損を恐れず豪快に攻め込む棋風は、「ガジガジ流」と称される。
  • 久保利明 - 元は▲5七銀(△5三銀)型のノーマル三間飛車を好んで指していた。現在は石田流とゴキゲン中飛車を得意とする。駒の捌きを重視する棋風から「捌きのアーティスト」と称される。
  • 鈴木大介 - 豪快にして繊細な棋風で力戦をいとわない。四間飛車から三間飛車に変更し石田流に組み替えることを得意とする。
  • 近藤正和 - ゴキゲン中飛車の創始者。受けが常識である中飛車に革命を起こす。
  • 窪田義行 - 窪田流とも言うべき独特の力強い棋風。
  • 佐々木慎 - あらゆる振り飛車を指しこなす、振り飛車のオールラウンダー。手厚い受けが得意で着実な棋風でありつつ、独特でユニークな理論にも定評がある。久保利明は同じ振り飛車党で期待している後輩に佐々木慎の名を挙げている。
  • 菅井竜也 - 「菅井流」と称される序盤の研究を重視した棋風で、新手を数多く編み出している。現役トップ棋士では稀有な生粋の振り飛車党で、自他ともに認める振り飛車党党首[11]
  • 戸辺誠 - 攻める振り飛車党[12]
  • 福間香奈 - 力戦中飛車、ゴキゲン中飛車などを得意とする。
  • 西山朋佳 - ゴキゲン中飛車、三間飛車を得意とする。終盤の逆転が多く「豪腕」と称される。
  • 香川愛生 - 相手が振り飛車で来た場合は、自分も振って相振り飛車にすることが多い。
  • 佐藤天彦 - もともとは居飛車党だったが、2023年頃より振り飛車党に転身。大師匠の大山康晴に通じる重厚な四間飛車を特に好む。

(特に藤井猛、久保利明、鈴木大介の3人は「振り飛車御三家」と呼ばれる。)

脚注

  1. ^ 宮本広志、2020、『マイナビ将棋BOOKS/1冊でわかる ノーマル振り飛車 基礎から流行形まで』、マイナビ出版
  2. ^ 上野、2018
  3. ^ 関澄伯理』 - コトバンク
  4. ^ a b 升田幸三、『三間飛車の指南』 (升田の将棋指南シリーズ)、1980年、大泉書店
  5. ^ a b 半年後に将棋の神様が現れるかもしれない話──最強将棋ソフト開発者が語る“ディープラーニング勢の台頭による将棋ソフトの進化” | ニコニコニュース オリジナル
  6. ^ a b 角換り先手必勝時代に振り飛車が有力視され始めた件について | やねうら王 公式サイト
  7. ^ 【決勝リーグ】文部科学大臣杯第5回世界将棋AI電竜戦本戦 勝敗表
  8. ^ 振り飛車は「呪いの装備」か 将棋AI開発者が語る理不尽との戦い:朝日新聞デジタル
  9. ^ 一度四間飛車に振り、角交換をした後に向かい飛車に振り直す。
  10. ^ 角交換四間飛車に対して、ダイレクトに向かい飛車に降るため、こう呼ばれる。
  11. ^ 【王将戦】居飛車 vs 振り飛車〝頂上対決〟の先 なぜ菅井竜也八段に魅せられてしまうのか”. 東スポWEB (2024年1月7日). 2024年1月7日閲覧。
  12. ^ 戸辺 誠 @TobeMako X(Twitter)”. Twitter. 2024年2月26日閲覧。

参考文献

関連項目




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