こま‐おち【駒落ち】
将棋の手合割
(駒落ち から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 15:01 UTC 版)
将棋の手合割(しょうぎのてあいわり)とは、将棋におけるハンデキャップのことを言う[注 1]。
注釈
- ^ 本項で述べる駒落ちのほか、持ち時間に差を付けてハンデキャップとすることがある。王位戦主催新聞社が年明けの紙面に掲載する、王位と女流王位との新春お好み対局では、女流王位を先手とするほか持ち時間を王位10分、女流王位1時間としている“新春お好み対局”. 北海道新聞 朝刊: p. 28. (2018年1月1日)。
- ^ 現在の香落ちでは左香を落とすが、当初は右香か左香か棋風(居飛車か振飛車か)に応じて好きな方を選んでいた。一般に右香落ちのほうがハンデが小さいとされる。なお、右香落ち最古の棋譜は1619年(元和5年)に行われた本因坊算砂対二代大橋宗古の対局。宗古は二世名人(この時点で一世名人の大橋宗桂は存命のため、まだ名人を襲名していない)。プロの公式戦では、1930年を最後に右香落ちは行われていない。
- ^ 飛車落ちとも呼ぶ
- ^ 一丁半、また略して半とも呼ぶ
- ^ 平香交じりは、段級差とは無関係に王将戦の番勝負で1959年まで行われており、先に3敗した方が相手に平香交落で指してもらう指し込み規定であった。1955年の第5期王将戦で、挑戦者の升田幸三が時の名人大山康晴に3連勝して平香交落に追い込んだことを「名人に香車を引く」といい有名になった。現在では王将戦の規定変更により平香交落は行われていない。
- ^ 例えば、サッカー日本代表で主力選手のMF本田圭佑とDF長友佑都が欠場した状態、野球日本代表で主力選手のイチローとダルビッシュが参加しなかった状態を、スポーツ紙がそれぞれ「飛車角落ち」と表現している[7]。
出典
- ^ 鬼斬転輪-おにぎりころりん-(小田切秀人公式Webサイト)内飛車角の戦い
- ^ 木村義雄『将棋大観』日本将棋連盟、1976
- ^ 加藤治郎、原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ p. 217「将棋昭和史年表」(加藤久弥、越智信義)
- ^ 先崎学『駒落ちのはなし』講談社現代新書。灘はアマ初段相手に八枚落ちで完勝する、「八枚落ち灘定跡」という自作定跡を開発していた。
- ^ 升田『王手 ここ一番の勝負哲学』成甲書房、2001。現在でも『将棋精選』は定跡書として使われており、豊川孝弘は幼少期に『将棋精選』を並べたと述懐している。
- ^ 湯川『定跡なんかフッ飛ばせ』マイコミ、2003
- ^ サンケイスポーツ 2013年3月16日 清水泰史『【甘口辛口】「飛車角落ち」ザック日本、救世主の登場なるか』
- ^ 湯川『定跡なんかフッ飛ばせ』マイコミ、2003。木村定跡の「二歩突っ切り」で下手必勝となっている局面から敗れるアマチュアが続出したという。
- ^ 石垣、『石垣流二枚落大決戦』講談社、1975及び先崎『駒落ちのはなし』。
- 1 将棋の手合割とは
- 2 将棋の手合割の概要
- 3 概説
- 4 駒落ちの定跡
- 5 脚注
駒落ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:53 UTC 版)
駒落ち定跡から覚えよう 将棋初級入門(1978年10月、梧桐書院、ISBN 4-340-07107-2) - 70年代棋書では珍しい2色刷り。2手ごと(上手1手、下手1手)に盤面図と解説が挿入されている。 駒落ち定跡で強くなる 将棋中級入門(1979年4月、新刷版1984年1月、梧桐書院、ISBN 4-340-07108-0) - 多色刷りなので盤面は非常に見やすい。香落ちを卒業し平手に進む構成。対振り飛車の概説もあり。
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駒落ち(こまおち)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:11 UTC 版)
実力差がある者同士が対局するときに上位者が何枚か初期位置の駒を減らしてハンデをつけること、またそのハンデ。詳細は将棋の手合割も参照。
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