1960年代以降: 第三世代とその後とは? わかりやすく解説

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1960年代以降: 第三世代とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 10:11 UTC 版)

計算機の歴史」の記事における「1960年代以降: 第三世代とその後」の解説

詳細は「計算機の歴史 (1960年代以降)」を参照CPU年表」および「パーソナルコンピュータ史」も参照 ジャック・キルビーロバート・ノイスそれぞれ独自に集積回路発明し、さらに爆発的に多数コンピュータ使われるようになっていった。1970年代には、MOS集積回路により、インテルテッド・ホフフェデリコ・ファジンらによってマイクロプロセッサ発明されることになる。右の集積回路写真Intel 8742 という8ビットマイクロコントローラで、12MHzで動作するCPU128バイトRAM2048バイトEPROM入出力部などを1つチップ集積している。 利用する素子テクノロジによるコンピュータ世代分けでは、集積回路主として使ったコンピュータ第三世代とする。しかしIBM System/360あれこれ画期的であったために、SLTという高度なモジュール技術ではあったがモノリシック集積回路ではない点には目をつぶって初の第三世代とされることもあり、はっきりと分類するのは難しい。主記憶コアから半導体になったのはIBMでSystem/370であった1960年代第二世代第三世代技術混在していた。IBMIBM Solid Logic Technology によるモジュール1964年System/360開発採用したUNIVACでは、UNIVAC 494 のように1975年ごろまで第二世代技術採用した機種製造され続けたバロース大型機(バロース B50001961年設計開始)ではスタックマシンアーキテクチャを採用しプログラミング単純化しようとしたスタックマシンプッシュダウン・オートマトン実装したもので、後にミニコンピュータマイクロプロセッサでも採用されことがあるB5000設計プログラミング言語影響されているが、逆にスタックマシン考え方プログラミング言語設計処理系実装影響及ぼしもしている。1960年代にはミニコンピュータ生まれ発展している。ミニコンピュータ安価な計算センターコンピュータとして産業界大学使われた。 1971年ミニコンピュータ上でアナログ回路シミュレーションできるSPICE (simulation program with integrated circuit emphasis) が登場電子回路設計自動化EDA)が始まったマイクロプロセッサ登場によってマイクロコンピュータ呼ばれる小型低価格コンピュータ登場しコンピュータ個人所有できる時代到来1970年代登場したマイクロコンピュータは、1980年代にはパーソナルコンピュータ呼ばれるようになり、広く普及することになる。 1975年4月開催されハノーバー・フェアで、オリベッティパーソナルコンピュータP6060を出展フロッピーディスク装置サーマルプリンター小さなプラズマディスプレイ内蔵したオールインワン型だが、CPUマイクロプロセッサではなく2枚基板構成されていた。48kバイトRAM搭載しBASIC言語利用可能重量は40kgだった。発売1977年で、そのころには既にマイクロプロセッサ採用したパーソナルコンピュータホームコンピュータ)がいくつも登場していた。 Apple Computer創業者1人スティーブ・ウォズニアック世界初大量生産されたホームコンピュータ開発者とされることがある。細かいところを言うと、Apple Iより前にモステクノロジーKIM-1Altair 8800があり、また、グラフィックスサウンド機能という面でもApple IIより、PET 2001の方がわずかに先行している(がPETモノクロ)。 一般的に従来大型マシン機能と性能が、より小型マシン実現されるということが、コンピュータの歴史では繰り返された。それによって、メインフレーム大半はやがてミニコンピュータ置き換えられミニコンピュータ大半はやがてワークステーション置き換えられワークステーション大半はやがてパーソナルコンピュータ置き換えられた。そして、パーソナルコンピュータ役割も相当な部分タブレットスマートフォン奪われつつある。ただし、この歴史は必ずしも一本道ではない。置き換えられなかったメインフレーム、あるいはワークステーション、に相当するコンピュータ残っているし、ワークステーションパーソナルコンピュータの歴史並列していた時期20年程度には及ぶ。 コンピュータのような複雑なシステムには高い信頼性求められるENIAC1947年から1955年まで連続稼働し退役となるまで8年動作し続けた真空管故障するものだが、システムダウン引き起こす前に交換されていた。電源切った入れたりするのはトラブルの元であるが、ENIAC電源切らないという単純な戦略で、障害劇的に低減していた(真空管のせいでよく壊れていたなどと言われるのは、実際にはこのことを理解しない運用機関電源入れっぱなしにするのを許さなかった時期の話である)。SAGEでは真空管そのもの選別によって高信頼なものだけを使ったが、2台のコンピュータホットスタンバイ構成とし、診断機能によって故障しそう真空管識別することでさらに信頼性可用性高めていた。半導体メモリ一般にほとんど故障しないが、UNIXなどは電源投入時にメモリテストしてハードウェア故障検出するようになっていた。今日ではサーバファーム上で電子商取引が行われているため、信頼性求める声は強くなっている。Googleサーバファーム管理にフォールトトレラントソフトウェアを使ってハードウェア故障対処しており、サーバファーム全体サービス停止せず切り替えるという概念にも挑戦している。 21世紀に入ると、マルチコアCPU一般に流通するようになった連想メモリ (CAM) はネットワークにも使われるなど低価格化しているが、ハードウェアCAMプログラミング言語から使うという動きはまだない。半導体メモリは非常に規則的な構造であり、製造業者最新プロセス採用している。そのためメモリ急激に価格低下していった。1980年代CMOS論理回路実用化され、他の回路性能面でも遜色ないものになっていった。それによって電力消費劇的に低減された。他の回路構成では電流が常に流れ続けるが、CMOSでは状態遷移のときだけ電流流れる(リーク電流を除く)。 そういった技術革新によってコンピュータはどこにでもある商品となり、グリーティングカードから衛星電話まで様々な形組み込まれている。コンピュータハードウェアソフトウェアは、宇宙運行を表す隠喩にもなっている。DNAコンピュータ量子コンピュータ実現するのはまだ先だが、既にDNA折り紙のような基盤技術登場している。ナノスケール超伝導体発見によりジョセフソン素子単一磁束量子といった技術使った高速デジタル回路先に実現する予測されている。 光ファイバー関連する素子は既に長距離データ伝送使われているが、CPUとメモリ接続にそれを使う研究なされている。 コンピュータ急激な発展は、主要な論文歴史からも推定できる誰かが何かを書き終わったとき、既に時代遅れになっているという勢いである。フォン・ノイマンFirst Draft of a Report on the EDVAC多く研究者読んだ1945年それぞれのシステム実装すぐさま始まった。この開発ペースが今も世界的に続いている。

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