ENIACとは? わかりやすく解説

ENIAC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 15:18 UTC 版)

ENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer[1][2][3]は、アメリカで開発された黎明期の電子計算機


  1. ^ 「電子式数値積分・計算機」の意
  2. ^ Goldstine 1972
  3. ^ a b The ENIAC Story”. Ftp.arl.mil. 2008年9月22日閲覧。
  4. ^ Shurkin, Joel, Engines of the Mind: The Evolution of the Computer from Mainframes to Microprocessors, 1996, ISBN 0-393-31471-5
  5. ^ Moye, William T (1996年1月). “ENIAC: The Army-Sponsored Revolution”. US Army Research Laboratory. 2009年7月9日閲覧。
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  8. ^ Honeywell, Inc. v. Sperry Rand Corp., 180 U.S.P.Q. (BNA) 673, p. 20, finding 1.1.3 (U.S. District Court for the District of Minnesota, Fourth Division 1973) (“The ENIAC machine which embodied 'the invention' claimed by the ENIAC patent was in public use and non-experimental use for the following purposes, and at times prior to the critical date: ... Formal dedication use February 15, 1946 ...”).
  9. ^ a b c Wilkes, M. V. (1956). Automatic Digital Computers. New York: John Wiley & Sons. pp. 305 pages. QA76.W5 1956 
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  13. ^ Farrington, Gregory. ENIAC: Birth of the Information Age. Popular Science. https://books.google.co.jp/books?id=-TKv7UHgoTQC&pg=PA74&dq=ENIAC&hl=en&sa=X&ei=tUTqTuDgJeSZiQKZy4GwBA&redir_esc=y#v=onepage&q=ENIAC&f=false 2011年12月15日閲覧。 
  14. ^ もとの写真は次の雑誌記事にある。Rose, Allen (April 1946). “Lightning Strikes Mathematics”. Popular Science: 83–86. https://books.google.co.jp/books?id=niEDAAAAMBAJ&pg=PA83&dq=eniac+intitle:popular+intitle:science&hl=en&sa=X&ei=MnWLT_OVEuKciALYz5HzCw&redir_esc=y#v=onepage&q=eniac%20intitle%3Apopular%20intitle%3Ascience&f=false 2012年4月15日閲覧。. 
  15. ^ Alexander Randall 5th (2006年2月14日). “A lost interview with ENIAC co-inventor J. Presper Eckert”. Computer World. 2011年4月25日閲覧。
  16. ^ Goldstine 1972, p. 182
  17. ^ Goldstine 1972, p. 226
  18. ^ a b Kleiman, Kathryn A. (1997年). “WITI Hall of Fame: The ENIAC Programmers”. 2007年6月12日閲覧。
  19. ^ “Wired: Women Proto-Programmers Get Their Just Reward”. (1997年5月8日). http://www.wired.com/culture/lifestyle/news/1997/05/3711 
  20. ^ ENIAC Programmers Project”. Eniacprogrammers.org. 2010年1月27日閲覧。
  21. ^ ABC News: First Computer Programmers Inspire Documentary”. 2013年2月22日閲覧。
  22. ^ Light, Jennifer S. "When Computers Were Women." Technology and Culture 40.3 (1999) 455-483
  23. ^ Gumbrecht, Jamie (2011年2月). “Rediscovering WWII's female 'computers'”. CNN. http://edition.cnn.com/2011/TECH/innovation/02/08/women.rosies.math/# 2011年2月15日閲覧。 
  24. ^ A Logical Coding System Applied to the ENIAC”. Ftp.arl.mil (1948年9月29日). 2010年1月27日閲覧。
  25. ^ http://history-computer.com/ModernComputer/Relays/Stibitz.html Relay computers of George Stibitz, retrieved 2012 Dec 19
  26. ^ Rojas, R. (1998). “How to make Zuse's Z3 a universal computer”. IEEE Annals of the History of Computing 20 (3): 51–54. doi:10.1109/85.707574. 
  27. ^ Rojas, Raúl. “How to Make Zuse's Z3 a Universal Computer”. 2013年2月22日閲覧。
  28. ^ https://news.ycombinator.com/item?id=9751312
  29. ^ ABCに関しては、しばしばその支持者はこのように「初の」「完全な」といったような主張をしており確かに文献にもそのようにあることが多い。しかし、「初の」はともかく、この段落でも後述するように、プログラム内蔵方式では無論なくプログラム制御であると認めることすら難しい機械であるという事実からは、いかなる意味で「完全」なのかは不明である。計算理論に「チューリング完全」という語があるが、むろんその意味も満たしていない。
  30. ^ B. Jack Copeland (editor), Colossus: The Secrets of Bletchley Park's Codebreaking Computers, 2006, Oxford University Press, ISBN 0-19-284055-X.
  31. ^ Rebuilding the ABC” (英語). The Trial. Ames Laboratory (2003年1月22日). 2012年2月15日閲覧。
  32. ^ 英語版ENIACを参照。
  33. ^ Jan Van der Spiegel (2007年8月6日). “ENIAC-on-a-Chip” (英語). University of Pennsylvania. 2012年8月20日閲覧。
  34. ^ Jan Van Der Spiegel (1995年5月9日). “ENIAC-on-a-Chip”. University of Pennsylvania. 2009年9月4日閲覧。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:03 UTC 版)

計算機の歴史」の記事における「ENIAC」の解説

詳細は「ENIAC」を参照 アメリカで製作されたENIAC (Electronic Numerical Integrator and Computer) は世界初電子式汎用コンピュータとされている。エレクトロニクス高速性と複雑な問題を解くためにプログラミング可能な能力初め併せ持った計算機である。1秒間加算または減算5000実行可能な性能で、従来計算機比べて千倍ほども高速だった(Colossus論理演算のみで加算できない)。また、乗算除算平方根計算する装置備えていた。高速メモリはわずか20ワードぶんしか備えていない(バイト数にして約80バイト)。ジョン・モークリージョン・プレスパー・エッカート指揮ペンシルベニア大学行われたENIAC開発・製作は、1943年から1945年末までかかった30トン重量のある巨大なマシンであり、18,000個以上の真空管使っている。そのため真空管故障最小化することが技術的な最重要課題となった完成後は約10年継続的に使われた。 当初のENIACはそれぞれの機能備えた装置の間の配線をつなぎかえることでプログラミングされていた。これは現代感覚で言うならCPULSIチップ中の配線を違うものに変えているようなものであり、現代コンピュータとはまだ大きく違っている。ENIACは当初完成の後も、記憶装置拡張したり、その拡張され記憶装置利用してプログラムできるようになったりと構成変わっているため、その能力についてその時代によって異なる。よって次の節にあるよう一覧表を他の資料などでも見るかもしれないが、一般的に言って絶対にそのこと注意しなければならない

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ジョン・モークリー」の記事における「ENIAC」の解説

詳細は「ENIAC」を参照 1942年、モークリーは汎用電子計算機構築提案するメモ書いた。その提案は、機械的な可動部品を使用せず電子技術使用することによって得ることができる莫大な速度上の利点強調したのである。この提案ムーア・スクール内で広まったが、その意義はすぐには認識されなかった。陸軍省ムーア・スクール連絡係(リエゾンであったハーマン・ゴールドスタイン中尉は、その提案取り上げ、モークリーに正式な提案書を書くよう依頼した1943年4月陸軍ムーア・スクール契約し、モークリーらの提案による、砲弾射撃表の計算加速するための電子計算機、ENIACを建造した。モークリーが概念設計主導しエッカートがENIACのハードウェアエンジニアリングを主導した。このプロジェクトには、他にも多く優秀なエンジニア貢献した。 その高速計算能力により、ENIACはこれまで解決できなかった問題解決することができた。それは既存技術よりも約1000高速だった。ENIACは1秒間5000個の数の加算、あるいは357十進数乗算をすることができた。 ENIACは、加算減算乗算除算平方根入力/出力関数条件付き分岐シーケンスループ実行するようにプログラムできる。プログラミング当初パッチコードとスイッチ行われ、再プログラミングには何日かかった1948年再設計され、記憶されプログラムある程度速度落として使用できるようになった死後の2002年に、ENIACに関する業績に対して全米発明家殿堂殿堂入りした。

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ハーマン・ゴールドスタイン」の記事における「ENIAC」の解説

ムーアスクール機械式微分解析機調整しながら、技術者のジョセフ・チャプラインはゴールドスタインに、ジョン・モークリーの元を訪問することを提案した。モークリーはムーアスクール物理学教員で、真空管使用した電子計算機により計算を何千倍高速化できること提案するメモ配布していた。モークリーは提案書書き1943年6月にモークリーとゴールドスタインはこのプロジェクトのために陸軍から資金確保した。ENIACは30か月200,000人時をかけて建設された。ENIACは巨大で、大きさ30×60フィートもあり、18,000本の真空管使用し 30トン重量があった。この装置20個の数字しか保存できず、プログラム数日かかった。ENIACは第二次世界大戦の終戦後の1945年後半完成した

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アデル・ゴールドスタイン」の記事における「ENIAC」の解説

彼女は、陸軍弾道研究所接収されていたムーア・スクールで、女性計算手のための数学講師となり、後にENIACのオリジナルプログラマとなる6人を含む女性たち対し弾道軌道複素微分計算)を手動計算できるように訓練した計算手による作業戦争遂行にとって重要であり、女性男性よりも迅速かつ正確に仕事をすることができるとみなされていた。第二次世界大戦戦局優位になる1943年には、基本的に全ての計算手女性となり、現場監督者もほとんどが女性だった。 彼女は、6人の女性計算手キー・マクナルティ、ベティ・ジェニングス、ベティ・スナイダーマーリン・ウェスコフフラン・バイラスルース・リターマン)に対し論理的電気的なブロック図使用してENIACの「プログラム」ができるように訓練した後、ENIACの取扱説明書執筆した。ENIACでは、別の問題を解くためには、部品再配置して、ワイヤ物理的に抜き差しする必要があった。この作業は、「プログラム」という言葉はまだなかったので、当時は「セットアップ」と呼ばれていた。 1946年、彼女はベティ・ジェニングスとリチャード・クリッピンガー(ドイツ語版)とのプログラミングセッションに参加し、クリッピンガーによるENIACのプログラム内蔵方式への変更支援したジョン・フォン・ノイマンは、実装する命令セットの選択に関するコンサルタントだった。これにより、装置実行するプログラムごとにパッチケーブルを抜き差しなければならないという問題解決された。プログラム3つの関数テーブル入力された。このテーブルは、以前軌跡追跡機能保存にのみ使用されていた。

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