コロッサス【Colossus】
Colossus
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:03 UTC 版)
詳細は「Colossus」を参照 第二次世界大戦中、ロンドンから北に40マイルほどの位置にあるブレッチリー・パークで、ドイツ軍が通信に使っていた暗号の解読が行われていた。ドイツの暗号機エニグマの解読には、電気機械式の bombe という機械を補助的に使用した。bombeの設計は1938年にアラン・チューリングと Gordon Welchman が行ったが、それはポーランドのマリアン・レイェフスキの暗号解読法に基づくもので、1941年から実際に使用され始めた。エニグマのとりうる設定を除外していくために、一連の論理的推論を電気を使って行った。多くの設定は矛盾を生じるため除外でき、残った少数の設定について人手で調べることができた。 ドイツ軍はエニグマとは全く異なる一連のテレタイプ端末型の暗号機も開発した。Lorenz SZ 40/42 は特に重要な通信に使われ、イギリスではそれを "Tunny" と呼んでいた。Lorenz による暗号通信をイギリスが傍受し始めたのは1941年のことである。Tunny解読作業の一部として、マックス・ニューマンらがColossusを開発した。Colossus Mk I は1943年3月から12月に英国中央郵便本局研究所のトミー・フラワーズらがロンドンで製作し、1944年1月にブレッチリー・パークに移された。 Colossusは世界初の完全電子式のプログラム可能計算機である。多数の真空管を使い、紙テープでデータを入力し、データに対して様々なブール論理操作を行うよう設定変更可能である。ただしチューリング完全ではない。Colossus Mk II は9台(Mk I も Mk II に改修されたので全部で10台)製作された。それらの存在、設計、利用は1970年代まで機密とされていた。ウィンストン・チャーチルは戦後、直々にそれらを細かく分解して廃棄するよう命じていた。Lorenz の暗号がイギリスで解読されていたという事実も冷戦中は機密扱いだった。このように徹底的に秘匿されたため、Colossus は計算機の歴史に全く登場しなかった。今ではColossusを復元したものがブレッチリー・パークの国立コンピューティング博物館に展示されている。
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