ENIACの評価とは? わかりやすく解説

ENIACの評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:46 UTC 版)

城憲三」の記事における「ENIACの評価」の解説

ENIAC以前計算機械は、アナログ式であったり、機械式電気式で、摩耗問題もあり、性能にも限界があった。後に一般的になるいわゆるノイマン型コンピュータ至らぬ点もあれど、ENIAC電子回路の力で高速計算をする、画期的な計算機であったENIACアメリカで開発されている頃、日本では戦争による情報鎖国厳しい状態にあった。そしてこのENIACの開発いち早く知り電子計算機取り組んだのが城であった大阪帝大工学部精密工学教授の職にあった彼は、1946年2月18日付の「ニューズウィーク」誌でENIAC劇的な出会いをする。そこにはENIACについて「難問を解く天才現われた」との1ページ足らず簡単な記事写真とがあった。さらに2月25日の「タイム」誌にも科学同種の記事があった。実際城がこれらを見たのは発行ではなく少し後だったとされる数学機器教えていた城は、数学的に問題高速機械的に解く必要性強く感じていたが、そうしたときこのENIAC開発知った。彼は「米国新式飛行機原爆の蔭にこうした機器があり、戦争如き極度に多質・大量計算要求される時代に、原始的な算盤のみしか知らぬ国はみじめになる」[要出典]と、敗戦間もないこの頃彼我技術差を見せつけられる思い[要出典]であった。そして1947年増進堂より出版した自著数学機器総説」にENIAC紹介した。この書籍大部分それまで研究の成果である機械式計算機面積計、それに調和解析機などが占めていたが、そこに3ページをさいて「電子計算機出現」という小項を設けENIAC性能機能紹介した。そしてその結びとして「これまでの驚くべき統計機械過去のものとなる。心憎いまでのこの計算機発達を、今我々は率直に褒め敬意払い驚き、そして学ばなければならない」と最大賛辞与えている。その後発達をみればこの発言も当然であろうが、その大きさ寿命速度使い勝手どれをとっても実用からほど遠い[要出典]このENIAC高く評価した彼の深い経験先見の明窺われる[要出典]。

※この「ENIACの評価」の解説は、「城憲三」の解説の一部です。
「ENIACの評価」を含む「城憲三」の記事については、「城憲三」の概要を参照ください。

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