ENIAC特許
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 03:48 UTC 版)
「ジョン・アタナソフ」の記事における「ENIAC特許」の解説
1940年代中旬、モークリーとエッカートらにより、ENIACが建造され、1946年に発表された。また同プロジェクトは同機に関するいくつかの特許を1946年に申請し、特許を取得している。この特許権は1951年にレミントンランド社(後のスペリーランド)に売却された。同社はロイヤリティ支払いを同業他社に請求するための子会社を作るなど、この特許を利用して積極的にコンピュータ業界から利益を上げていた。 1954年6月、IBMの弁理士 A.J. Etienne は、エッカート=モークリー特許の回転磁気ドラムメモリについての部分は、アタナソフの支援があれば勝てるかもしれないと考えた。つまりABCでクリフォード・ベリーが、アタナソフの磁気ドラム案からキャパシタドラムに変更した事実が先例になるかもしれないと考えたのである。アタナソフは支援することを承知したが、結局IBMはスペリーランドと包括的な特許共有契約を結ぶことで合意したため、裁判は行われなかった。 1967年5月26日、ハネウェル社はスペリーランド社を訴え、ENIAC特許の無効性を主張した。この当時としては長くかかり高くついた裁判は1971年6月1日に始まり、77人の証人、80の宣誓証言書、30,000 の証拠品をかけた。ここで証拠のひとつとして、アタナソフのマシンが先例として取り上げられた。1973年10月19日、ABCに、ENIACより先行するアイディアいくつかあったとして、スペリーランドによる寡占の無効が決定された。
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