スペリーランドとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > スペリーランドの意味・解説 

スペリー

(スペリーランド から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/31 13:15 UTC 版)

スペリー: Sperry Corporation)は、アメリカの機械および電気製品の企業であり、20世紀のうち1910年から1986年の約70年間にわたって存在した。一連の合併を経て今ではユニシスの一部となっているが、かつてのスペリーの一部はハネウェルの一部となっている。

初期の歴史

ブルックリンの工場だった建物
M2照準器の製造現場 (1932)

1910年、スペリー・ジャイロスコープとしてエルマー・アンブローズ・スペリー英語版ニューヨークブルックリン区のダウンタウンに設立した[1]。彼が自ら発明した船舶用ジャイロスタビライザージャイロコンパスを中心として航法装置を製造する会社である。第一次世界大戦の際には、航空機用の爆撃照準器や射撃管制装置なども手がけるようになる。このころスペリー・ジャイロスコープやその関連会社はロングアイランドのナッソー郡付近に集中していたが、その後徐々に各地に進出していく。

1918年、息子のローレンス・スペリー英語版は独立して Laurence Sperry Aircraft Company を設立し、オートパイロット装置などを製造した。しかし、1923年12月13日にローレンスが死去し、2社は合併することとなった(1924年)。1933年、社名をスペリー・コーポレーションに変更する。新しい会社は持ち株会社となり、傘下にスペリー・ジャイロスコープだけでなく、Ford Instrument CompanyIntercontinental Aviation, Inc. などいくつかの会社を抱えるようになった。最新の航空管制装置などを製造している。

スペリーはクライストロンを発明したバリアン兄弟英語版を中心とするスタンフォード大学の発明家集団を支援し、その技術や発明を自社製品に取り入れた[2]

スペリー社は第二次世界大戦においても軍需によって大きく成長した。特に高い技術を要求される装置、例えばアナログコンピュータ制御の爆撃照準器、空挺レーダーシステム、自動離着陸システムなどを開発製造した。スペリー社はB-17B-24の悪名高い旋回砲塔も開発製造している。この旋回砲塔は、映画『メンフィス・ベル』や、詩 The Death of the Ball Turret Gunner英語版 に描かれている。戦後、スペリー社は電子機器とコンピュータに関心を寄せ、1953年に同社初のデジタルコンピュータ SPEEDAC を開発した。

1950年代、スペリー・ジャイロスコープの大部分はアリゾナ州フェニックスに移転し、間もなくスペリー・フライトシステムへと改称。これは核戦争を想定し、重要な軍需企業を守ろうという試みだった。ジャイロスコープ部門はロングアイランドの大工場を中心としてニューヨークに残り、1980年代まで続いた。なお、ロングアイランドのレイクサクセスの工場は、1946年から1952年まで一時的に国際連合本部ビルとして使われていた。

スペリーランド

スペリー・ランドのロゴ

1955年、スペリーはレミントンランドを買収し、スペリーランドと改名した。レミントンランドと同時に子会社のエッカート=モークリ・コンピュータEngineering Research Associates英語版 を獲得し、UNIVACコンピュータシリーズによって成功を収めることになった。そしてIBMともクロスライセンス契約を結んだ。その後も軍需企業としての側面を維持している。

レミントンランドを買収したころ、スペリー・ジャイロスコープは船舶用機器専用の工場を建設することを決定。慎重な検討を経て1956年、バージニア州シャーロッツビルで船舶航法装置などの製造を開始した。これが後のスペリー・マリンとなった。

1967年から1973年にかけて、ハネウェルとの厳しい独占禁止法違反訴訟に関わった。この訴訟はそもそもスペリーランドがENIAC特許のライセンス料の支払い(2億5千万ドル、後に2千万ドルに減額)をハネウェルに対して求めたものである。ハネウェルは支払いを拒絶し、スペリーランドを反トラスト法違反で逆に訴えた。さらにスペリーランドがハネウェルを特許侵害で訴えるという訴訟合戦に突入する。このときの裁判でENIAC特許が無効であると裁定され、ハネウェルが勝訴している。

1970年代のスペリー社は巨大複合企業となっていた。マンハッタンに本社ビルを構え、タイプライター(スペリー・レミントン)、事務機器、コンピュータ(UNIVAC)、農業機械(スペリー・ニューホランド)、ジャイロコンパス/レーダー/航空管制装置などのアビオニクス(スペリー・ヴィッカース、スペリー・フライトシステム)、電気シェーバーなどの一般向け製品(スペリー・レミントン)などを製造販売していた。また、ロングアイランド・マッカーサー空港にオフィスを持ちニューヨーク近郊に本社のあるスペリー・システムズ・マネジメントが政府の軍関係の契約の大部分を担当した。

1978年、スペリーランドはコンピュータに集中することを決定し、それに直接関係しない子会社レミントンランド・システムズ、レミントンランド・マシンズ、フォード・インスツルメント、スペリー・ヴィッカースなどを売却する。また、社名から「ランド」を取って元のスペリー・コーポレーションに戻した。スペリー社はRCAのコンピュータ部門を買い取って、IBM システム/360の互換機も製造するようになった。

合併

1986年、元アメリカ合衆国財務長官バロースCEOマイケル・ブルーメンソールがスペリーに対する敵対的買収をしかけ、これが成功して両社が合併しユニシスが誕生した。敵対的買収を阻止するためスペリーはポイズンピルを実施したが、買収は続行され、結果としてバロースは予定より多くの借金を負うこととなった。

スペリーの残っていた子会社スペリー・ニューホランドやスペリー・マリンなども合併後に売却された。スペリー・ジャイロスコープからの伝統を引き継いだ部門のうち、スペリー・フライトシステムはハネウェルに売却され、スペリー・ディフェンスシステムはマーティン・マリエッタに売却された。後者は今ではロッキード・マーティンの一部になっている。

イギリスでのスペリー

イギリスでは1913年、ロンドンでイギリス海軍向けのジャイロコンパス製造工場を開設したのが最初である。これが1915年、Sperry Gyroscope Co Ltd となった。なお、ローレンス・スペリーは1923年、イギリスでの航空機事故で亡くなっている。その後もブレントフォード (1931)[3]グロスタシャーストーンハウス (1938)、ブラックネル (1957)[4] と拠点を拡大していった。1963年には3,500人の従業員を抱えている[3]。1967年、ブレントフォード工場を閉鎖し、ブラックネル工場を拡張。1969年ごろにはストーンハウス工場を閉鎖した。1969年時点の従業員数は2,500人である[5]

ブラックネルの工場および開発センター(後にブリティッシュ・エアロスペースに売却)の跡地には Philip Bentham が制作した4.5mのアルミニウム製オブジェ Sperry’s New Symbolic Gyroscope (1967) が残っている[6]

その後のスペリー

現在、スペリーの名が残っているのはシャーロッツビルに本社を置くスペリー・マリンである。この会社は、1997年に他の2つの船舶関連会社と合併し、現在はノースロップ・グラマンの傘下にある。航法装置、海洋通信装置、商船向けの自動化システムなどを世界的に製造販売しており、海軍の仕事も請け負っている。

脚注・出典

  1. ^ New York Times June 1915 Factory on Flatbush Avenue Extension
  2. ^ Lécuyer, Christophe (2008). Making Silicon Valley: innovation and the growth of high tech, 1930-1970. MIT Press. ISBN 978-0-262-12281-8 , p.100
  3. ^ a b Fifty Years of British Sperry”. Flight International. p. 434 (1963年3月28日). 2012年3月30日閲覧。
  4. ^ Sperry Gyroscope Company (Bracknell)”. Hansard (1966年4月29日). 2012年3月30日閲覧。
  5. ^ Britain's Aircraft Industry 1969”. Flight International. p. 378 (1969年9月4日). 2012年3月30日閲覧。
  6. ^ Sperry’s New Symbolic Gyroscope”. Bracknell Forest Borough Council. 2012年3月30日閲覧。

参考文献

  • Pearson, Lee: Developing the Flying Bomb[リンク切れ]
  • Fahrney, Delmer S. (RAdm ret): History of Radio-Controlled Aircraft and Guided Missiles
  • Gold V. Sanders. The Little top That Aims a Gun, Popular Science, July 1945, Vol. 147, No. 1, pp. 86–93, Bonnier Corporation, ISSN 0161-7370
  • Mindell, David A.; "Between Human and Machine — Feedback, Control, and Computing Before Cybernetics," Johns Hopkins University Press, Baltimore, ©2002. ISBN 0-8018-6895-5

関連項目

外部リンク


スペリーランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 00:15 UTC 版)

スペリー」の記事における「スペリーランド」の解説

1955年スペリーレミントンランド買収し、スペリーランドと改名したレミントンランド同時に子会社エッカート=モークリ・コンピュータEngineering Research Associates英語版) を獲得しUNIVACコンピュータシリーズによって成功を収めることになった。そしてIBMともクロスライセンス契約結んだその後軍需企業としての側面維持している。 レミントンランド買収したころ、スペリー・ジャイロスコープは船舶用機器専用工場建設することを決定慎重な検討経て1956年バージニア州シャーロッツビル船舶航法装置などの製造開始した。これが後のスペリー・マリンとなった1967年から1973年にかけて、ハネウェルとの厳し独占禁止法違反訴訟に関わった。この訴訟そもそもスペリーランドがENIAC特許ライセンス料支払い(2億5千万ドル、後に2千万ドル減額)をハネウェルに対して求めたのであるハネウェル支払い拒絶し、スペリーランドを反トラスト法違反逆に訴えた。さらにスペリーランドがハネウェル特許侵害訴えるという訴訟合戦突入する。このときの裁判ENIAC特許無効であると裁定されハネウェル勝訴している。 1970年代スペリー社は巨大複合企業となっていた。マンハッタン本社ビル構えタイプライター(スペリー・レミントン)、事務機器コンピュータUNIVAC)、農業機械(スペリー・ニューホランド)、ジャイロコンパス/レーダー/航空管制装置などアビオニクス(スペリー・ヴィッカース、スペリー・フライトシステム)、電気シェーバーなどの一般向け製品(スペリー・レミントン)などを製造販売していた。また、ロングアイランド・マッカーサー空港オフィス持ちニューヨーク近郊本社のあるスペリー・システムズ・マネジメントが政府の軍関係の契約大部分担当した1978年、スペリーランドはコンピュータ集中することを決定し、それに直接関係しない子会社レミントンランド・システムズ、レミントンランド・マシンズ、フォード・インスツルメント、スペリー・ヴィッカースなどを売却するまた、社名から「ランド」を取って元のスペリー・コーポレーションに戻したスペリー社はRCAコンピュータ部門を買い取ってIBM システム/360互換機製造するようになった

※この「スペリーランド」の解説は、「スペリー」の解説の一部です。
「スペリーランド」を含む「スペリー」の記事については、「スペリー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スペリーランド」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スペリーランド」の関連用語

スペリーランドのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スペリーランドのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスペリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスペリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS