UNIVACの歴史とは? わかりやすく解説

UNIVACの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:31 UTC 版)

UNIVAC」の記事における「UNIVACの歴史」の解説

ジョン・プレスパー・エッカートジョン・モークリーは、1943年から1946年にかけてペンシルベニア大学ムーア・スクール電気工学部)でENIAC構築した大学との知的所有権をめぐる紛争により、1946年エッカートとモークリーは大学去った。彼らは、ペンシルベニア州フィラデルフィアElectronic Computer Corporation社(ECC)を創業し会社設立時エッカート・モークリー・コンピュータ・コーポレーション(EMCC) に改称したEMCC国勢調査局から1950年国勢調査向けてコンピュータ購入する契約取った。しかし、様々な要因により開発進まず会社資金枯渇しかけたたためノースロップから小型コンピュータBINAC構築請け負った(ただし、このコンピュータ納入先正常に動作せず、ほとんど使用されていない)。BINAC開発中にアメリカン・トータライザー(英語版)の副社長ハリー・L・ストラウス英語版)の支援受けたが、1949年10月ストラウス飛行機墜落事故死亡し、アメリカン・トータライザーはEMCCへの支援打ち切った1950年2月15日EMCCレミントンランド買収され同社UNIVAC部門になった最初UNIVAC(UNIVAC I)は1951年3月完成し納品された。 UNIVAC Iは、1952年アメリカ合衆国大統領選挙結果予測したことで、世間大きく知られることとなった従来世論調査に基づく予想全てアドレー・スティーブンソン候補勝利だったが、UNIVAC Iドワイト・D・アイゼンハワー地滑り的勝利を予測したニューヨークCBSニュース部長ミケルソンは、数値が非常に歪んでいたため、コンピュータエラーがあると判断して、その予測を読むことを拒否したコンピュータ予測現実となることが判明したとき、アナウンサーのチャールズ・コリングウッドは、当惑しながら、コンピュータによる予測隠していたことを発表したアメリカ陸軍は、1951年議会対しUNIVAC購入要請した。ウェイド・ヒービー大佐上院小委員会において、国家動員計画には複数産業機関関与していると説明した。「これは途方もない計算プロセスです。(中略数百の関係が関わっており、理解するには一生かかるような、手計算電動計算機では解決できない問題あります。」ヒービーは小委員会において、様々グループの関係に基づいた動員ノルマンディー上陸作戦類似したその他の問題支援する必要がある語ったレミントンランドコネチカット州ノーウォークに独自の計算機研究所持ち、後にミネソタ州セントポールにあるエンジニアリング・リサーチ・アソシエイツ(英語版)(ERA)社を買収した1953年1954年レミントンランドは、ノーウォーク作表機部門ERA科学コンピュータ部門、UNIVAC商用コンピュータ部門を、UNIVACの名の単一部門統合した。これは、ERAノーウォーク研究所にいた人々をひどく悩ませた。 1955年レミントンランドスペリー合併してスペリーランドになったレミントンランドUNIVAC部門は、スペリーランドUnivac部門改称された。1960年代UNIVACは、アメリカ合衆国における8つ主要なコンピューター企業1つとなった。その8社とはIBMバロースUnivacNCRCDCGERCAハネウェルであるが、IBM市場シェア全ての競合他社よりもはるかに高いため、「IBMと7人の小人」と呼ばれた1970年代コンピュータ事業GEハネウェルに、RCAUnivac売却したことで、「7人の小人」と呼べなくなったことから、各社頭文字をとってBUNCHバンチ)と呼ばれるようになった1963年沖電気工業スペリーランドコンピュータに関する技術提携契約結んだ。しかし、その際条件として合弁会社設立があったため、「沖ユニバック」を設立し結果として沖電気本体メインフレーム事業から撤退することになった。 「企業アイデンティティ」を明示するために、スペリーユニバック(Sperry Univac)に名称が変更された。1978年スペリーランド社は旧態依然とした複合企業コンピュータタイプライタオフィス家具乾草梱包機、肥料散布機、ジャイロスコープアビオニクスレーダー電気かみそりであったが、コンピュータ事業集中することを決定し、関係のない部門売却した。このとき社名をスペリー・コーポレーションとした(スペリー側から見れば元に戻した)。 1986年スペリーバロース合併してユニシスになった。これ以来ユニシスはコンピュータメーカーからコンピューターサービスとアウトソーシング会社へと進化しIBMElectronic Data Systems(EDS)、Computer Sciences Corporation(CSC)と同じ市場競合している。ユニシスは、ClearPathやES7000英語版)サーバシリーズとして、企業向けコンピュータ設計・製造継続している。

※この「UNIVACの歴史」の解説は、「UNIVAC」の解説の一部です。
「UNIVACの歴史」を含む「UNIVAC」の記事については、「UNIVAC」の概要を参照ください。

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