1960年代・団地輸送の増強と拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:38 UTC 版)
「神奈川中央交通」の記事における「1960年代・団地輸送の増強と拡大」の解説
1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る。特に東海道線沿線の鉄道フィーダー輸送の必要性が高くなっていたことから、1953年(昭和28年)に藤沢駅と横浜駅を結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した。その後、国府津駅までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り、さらに各鉄道駅から住宅地への路線を新設して鉄道との連携輸送を行った。同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行ったほか、宮ヶ瀬(清川村)や青根(相模原市緑区)などの山間集落にも路線を展開した。1956年までの3年間に導入した車両数は126台となり、約90系統が新設されている。1958年(昭和33年)には京王との相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開、調布市や関戸へも乗り入れた。一方、横浜市内では横浜市交通局や相模鉄道との路線免許申請の競合が多くなったが、1960年頃からは各社で申請前に協議することになり、1962年には3社で運輸協定を結んだため、以後競願による認可の遅れという事態は回避されることになった。 詳細は「横浜市営バス#市民急増に対応し運行拡充」を参照 これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、1957年からの5年間で233台もの車両増備が行われた。1963年以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた。これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、1970年に路線バスの保有台数は1,000台を超え、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた。 この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。1959年4月には湘南平にレストハウスを建設、これにあわせて同年8月17日には神奈中商事を設立した。1962年からはスーパーマーケット「神奈中ストア」を開業し、沿線各地への店舗展開を行ったほか、クリーニング業にも着手した。また、1964年7月からはボウリング場の建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大した。1967年から不動産業にも進出、鎌倉市・二宮町などで宅地分譲を行った。
※この「1960年代・団地輸送の増強と拡大」の解説は、「神奈川中央交通」の解説の一部です。
「1960年代・団地輸送の増強と拡大」を含む「神奈川中央交通」の記事については、「神奈川中央交通」の概要を参照ください。
- 1960年代・団地輸送の増強と拡大のページへのリンク