近代における知的地位の失墜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:57 UTC 版)
「西洋占星術」の記事における「近代における知的地位の失墜」の解説
17世紀後半、理性の啓発によって人間の進歩や改善を図り、超自然的な偏見を取り除いて、人間の持つ理性の自立を促すことを重視する、啓蒙思想がイギリスで興ると、天文学や自然科学の発展と同じく、占星術に対する「逆風」となった。天文学と分離した占星術は、科学の台頭で時代遅れの物笑いの種になっており、古代からの名声を完全に失っていた。しかし消滅することはなく、占星術による天気予報や予知が含まれる生活暦(アルマナック)は、相変わらず多数の支持が寄せられていた。「学問」としての占星術は否定されたが、一般大衆においては生き延びていった。 19世紀末には、一部の占星術師たちは、自分たちの仕事を専門職として確立するため、課題を現代的なものに置きかえ、科学的なものにしようと試みた。1895年にはロンドンで『現代占星術』という表題を掲げた専門誌が刊行され、第一号の論説では「いまや古代の占星術体系を現代化するときが来た」と宣言した。リチャード・モリソンという退役海軍士官は(当時、航海士は恒星の位置に頼って航海していた)自分のことを「ザドキエル」と称し、水晶玉を用いて未来予言を行った。また、「セファリアル」として知られるウォルター・オールドは、客のために株式取引所の株価の動きを予言したり、競馬の結果を教えたりしていた。1902年になるとロンドンに占星術研究協会が設立され、1910年には占星術研究所、さらに毎週主催して講義を行なう占星術会館も誕生した。 19世紀後半に、近代オカルティズムが勃興すると、占星術もその潮流に乗ることになった。近代オカルティズムの盛り上がりとともに、秘教的な衣をまとうことで、それまでとは別のものに変化した。なかでも、神秘的直感、幻視、啓示などを通じて、神と結びつく神聖な叡智を獲得することで、高度な認識に達することを標榜する近代神智学(以下「神智学」)の影響が大きかった。神智学は、馬鹿にされたり無視されていたさまざまなオカルトをその体系に取り組み、後期ヴィクトリア朝の教養人たちの注目を集めた 神智学協会の神智学運動は、19世紀末を代表する文化運動のひとつであり、その衝撃は、さらに20世紀初頭のモダニズム誕生から、1960年代のカウンターカルチャー、20世紀末に始まるニューエイジと精神世界(現在のスピリチュアル)を理解していくうえで、「鍵」となる存在である。欧米文化の秘教主義、神秘主義、オカルト主義の趨勢が一群となったこの運動を、秘教的音楽史家ジョスリン・ゴドウィン(英語版)は「神智学的啓蒙」と表現した。 神智学協会の宇宙論における使命とは、世界の隠された真実の性質を明らかにし、物質主義的な科学観に反旗をひるがえすことであるという。神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーは、占星術は科学であり天文学のように正しいが、これは占星術と解釈する術師の双方が完全に正しい場合に限ると発言し、占星術と心理学においては、これを乗り越えるために「物質的世界」を離れて「霊的世界」に足を踏み入れなければならないと主張した。 19世紀イギリスの神智学協会会員でブラヴァツキーの腹心の一人アラン・レオ(英語版)は、西洋占星術を体系化して、現代まで続く形式に構築したことから「近代占星学の父」と呼ばれる。レオと、神智学協会会員の占星術師W・R・オールドが復興の立役者と評価されている。彼らは、占星術を古臭い陳腐な予言の手段から神智学の関連要素に引き上げ、秘教的関心における有用なツールとして提示し、神智学と占星術を融合させた。レオによって神智学が取り入れられ、「霊的な進化」の概念が占星術に初めて見られるようになり、新プラトン主義の系譜から神智学協会が導入した「霊的な太陽」の信仰を取り入れ、「太陽星座」(サン・サイン)を採用した。また、神智学を基礎にして占星術に心理学的な要素を加えた。これが現在にも影響が続いている「占星術の心理学化」の始まりである。レオは占星術をそれまでの歴史から分断し、伝統的なルールや法則をかなり簡略化したため、占星術を「改悪」したという否定的意見もある。 レオは、初めてのオカルト本の出版社とされる「モダン・アストロロジー・パブリッシング」社を創設し、大衆向けの占星術の書籍を出版し、占星術の普及に貢献した。レオは、20世紀初の占星術の広告塔になり、雑誌を利用して自らの占星術を広め、大衆化した。雑誌では、定期購読者に無料でホロスコープを作成しチャート診断するサービスを行って多くの読者を獲得し、十分な収益を上げ、著作もよく売れた。占星術をもうかる商売に仕立てたのも、レオとオールドであると評されている。レオの教本は、近代占星術の初期の研究家ほとんどすべてが学んでおり、後世に大きな影響を与えた。1915年には、レオと妻のベシイがイギリスの神智学協会に「占星術ロッジ」を設立しており、これがイギリスに現存する主要な占星術団体のもとになっている。鏡リュウジは、占星術にコミュニティがあるとすれば、レオがその源であると述べている。 フランスでは、ジャン=バチスト・モランの『ガリア占星術』(1661年)以降衰退し、19世紀のオカルティストのエリファス・レヴィに触発されオカルティズム探求の動きが現れ、ロマン派がカバラ主義・黒魔術・デカダン・古代エジプト・異端カタリ派などに興味を寄せたことで復興したが、目立つ動きではなかった。アンリ・セルヴァ(Henri Selva、1861 - ?)がモランを再発見し、1920年には実践者も増加した。 ドイツでは、ルネサンス以降の伝統はエランゲル大学のジュリウス・プファフ(ドイツ語版)(1774 - 1835)とともに途絶えていたが、神智学とフランス魔術の合流で1984年に復興した。84年に神智学協会ドイツ支部が設立されて、仏教やヒンドゥー教にも詳しい神智学徒フランツ・ハルトマン(ドイツ語版)が占星術の研究を行うようになった。ハルトマンの助手フーゴ・フォルラート(Hugo Vollrath)は、神智学やオカルトの出版社を設立し、ドイツではこの時期、占星術の定期大会や旺盛な出版活動がなされた。フォルラートは、神智学協会・占星術界で幾度か面倒なトラブルを起こし、ルドルフ・シュタイナーが神智学協会を離れて人智学協会を作ることにもなり、ドイツの占星術界はこうした騒動の影響で混乱したままナチスの時代に突入した。フォルラートは1933年にナチスに入党し、ナチスが主張する北方人種アーリア人の優位性を理論的に証明し正当化するために占星術を利用し、反ユダヤの流れに加担した。
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