近代における発見
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「マジックマッシュルーム」の記事における「近代における発見」の解説
南米における古い古代史にはこのキノコの使用について記載されておらず、想像だとみなされていた。1915年にはアメリカの植物学者のW・E・サフォードが植物学会で発表し、その元となったスペインの年代記の作者がメスカリンを含んだサボテンだと思っていたという誤解もあったが、その謎に挑んだことに大きな意味がある。 メキシコのレコ医師はサフォードに反論してメキシコ南部山岳地帯で今なおキノコが使用されているとし、1938年までにハーバード大学の民族植物学者リチャード・エヴァンズ・シュルテス(英語版)とバイトラナーの2人は現地でキノコを実際に発見し、住民の使用を確認、1938年に人類学者ジーン・B・ジョンソン(英語版)がシエラマサテカ(英語版)におけるワウトラ・デ・ヒメネス(英語版)にてその秘儀に見物人として参列した。そしてジョンソンの記事はスウェーデンの『民族学研究』に掲載された。第二次世界大戦にて研究が一時中断することになる。 1953年、JPモルガン銀行の副頭取だったロバート・ゴードン・ワッソンは、ジョンソンの見出したマサテカの地に訪れ儀式について現地で発見し、1955年5月末にはメキシコのマサテコ族のマジックマッシュルームを用いた儀式に白人として初めて参加した。当時なお、聖なるキノコとして信じられており、秘術などではなく、神聖にして侵すべからずとして守られてきたことが判明した。前後5日は性的に禁欲し、その祭式は、古い信仰とキリスト教が混交しており、キノコはしばしばキリストの血と呼ばれ、血が土に落ちてそこから生えたキノコだとか、唾液が落ちて湿った地から生えたというように信じられており、キノコの効果によって話す言葉はキリストの言葉であるとみなされていた。サビオあるいはクランデロ(男性)、サビアあるいはクランデラ(女性)という聖職者を意味する称号の司祭に対し、自分の抱えた問題を質問し、儀式が催される夜中を通してキノコを食べ続けるものである。司祭は経文を唱え、皆が恍惚となると質問に対し司祭が、つまりテオナナカトルが回答するとみなされており、病める者には薬草を教える。ワッソンの体験は自著『キノコ―ロシアの歴史』(未訳 、Mushrooms, Russia and History, 1957)に記されており、幾何学的で色鮮やかな幻覚を見て、次第にこれは玄関に変わっていき、そこは宝石で彩られた宮殿であり、幻想上の動物が引く馬車がいて、そのような幻想の世界を漂ったのである。 フランスの国立歴史博物館所長の菌学者ロジェ・エイムはワッソンに同行し、キノコをPsilocybe mexicana Heim(英語版)と命名した。研究室で栽培し、人工栽培に適していることが確認された。フランスとアメリカの製薬会社がその成分の抽出に興味を示したが成果はなかった。 LSDを合成、発見したスイスのサンド社の化学者アルバート・ホフマンは、幻覚を生じさせるサボテン以外にそうした植物は知らなかったため、1956年にワッソンに関する新聞記事を読んで興味を持っていたが、そこには詳細までは書かれていなかった。翌年、ロジェ・エイムが、パリのサンド社を介してメキシコのキノコの化学的研究を行ってくれないかと問い合わせ、ホフマンが研究を開始することとなる。しかし成果はなく、パリで栽培したため成分がなくなっていないかを確認するためにホフマンは自らをモルモットにし、メキシコ風の色彩が見え、助手の医師がアステカの司祭に変化しており、次第に抽象的な像が揺れ動く内面的なトリップへと変わった。このようにして有効成分がまだ存在することが確認されたが、難航し、モルモット役をかって出てくれた多くの同僚の手も借り、ついに最新の分留法によって成分を純粋な状態に精製し、2種類の分子構造をシロシビンとシロシンと名付けた。その化学構造はLSDに類似していた。(またアステカのオロリウキからリゼルグ酸アミドを抽出しLSDと近いものであった) サンド社はシロシビンの錠剤商品インドシビン (Indocybin) を製造。ワッソンの発見は、1957年にアメリカの雑誌『ライフ』誌にて『魔法のきのこを求めて』(Seeking the Magic Mushrooms)として掲載される。「マジックマッシュルーム」という用語は、『ライフ』の編集者が考えたものであった。キノコはメキシコにのみ育つと信じられており、キノコを探して旅行者が訪れた。日本の石川元助も1965年6月に、ワッソンを導いたシャーマンのマリア・サビーナ(英語版)の元を訪れ、東洋人初のその体験を発表した。彼は目の前に置かれた27本のうち22本のキノコを食べ、モザイク模様の素晴らしい色彩の世界が出現したかと思えば、色のついた玉が飛んできて、あるいはそれが帯となって包まれたりといったことから地獄、死の恐怖を感じたが、突然高笑いをはじめ1時間以上も続いたものであった。
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