近代における町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:23 UTC 版)
今日でも、「町名」が市町村のうちの町の名前である場合、市町村内の町丁を呼ぶことが多い。これは上述してきた様に「町」が元々区画を表す言葉であったためである。大きな都市の一部分として「町名」と言う用法は江戸時代の人情本『恋の若竹』にも「どうも町名(チャウメイ)が解らぬが礼に行くのに大きに困った、何方(どっち)へ行った」とある様に近世にはあった用法である。 複数の町を含む町場を集合的に町と呼ぶことは近世からあった。しかし1889年(明治22年)前後の町村制施行によるいわゆる明治の大合併により全国の区町村が統合され、自治体としての「町」が誕生した。都市を構成していた(これまで町が集合して都市になっていたか、村の中の市街が町と呼ばれていたかしていた)複数の町が合わさって一つの自治体として町になった場合、旧来の町の名はそのまま使われ続け(旧来の村々は大字と名を変えて混乱を免れた)、自治体としての町の中に町丁がある状態となった。さらに東京周辺においては、東京15区をもって東京市が発足するのに伴い、区部と郡部との境界が一部変更された際、区部から郡部に移行した町丁は、その町丁のみでひとつの大字とした(例:赤坂区青山北町七丁目→豊多摩郡渋谷町大字青山北町七丁目等)ため、同一自治体内に旧来の村による広大な大字と町方由来の町割・町名を保存したままの狭小な大字が混在するケースも見られた。 また、後に大字を有する町村を合併した際に大字の上に旧来の町村名を冠した「町(ちょう)」を冠するという例もよく見られる。都市化が進み区画整理を行うと、旧来の字を廃して新たに町丁を作る(町名を付ける)ことが多い。
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