近代における展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 15:33 UTC 版)
「パート・ド・ヴェール」の記事における「近代における展開」の解説
わが国では、岩城硝子製作所が1933年(昭和8年)頃からこの技法の再現に着手した。特別に編成された研究チームによる約4年の取り組みののち、小柴外一(1901-1973)らの手によって日本で初めてその制作に成功した。小柴は第二次世界大戦後に独立した後も、パート・ド・ヴェールによる制作をライフワークとし、戦後の苦しい状況下にありながら、アール・ヌーヴォー的な作風と日本的なニュアンスを併せ持つ独創的な作品を発表しつづけた。 1962年に、アメリカのハーヴィー・K・リトルトンとドミニク・ラビーノによるガラスの小型溶解炉の開発によって、個人作家による独創的かつ多彩な作品の制作が実現可能になり、これを契機とした「スタジオ・グラス運動(グラス・アーツ運動)」が世界規模で展開された。アメリカ政府の芸術振興政策の始まりともあいまって、多くの学校や個人のスタジオに溶解炉が設置され、制作活動が盛んに行われるようになった。わが国でもこの影響を受け、各地の工房や作家による多彩な制作活動が展開され始めた。 1970年代には由水常雄(1936年 - )によって実験考古学の分野からメソポタミア時代のパート・ド・ヴェールの製作技法が復元された。様々な作家がその技法にアイデアやモチーフを見出し、自らの作品のオリジナリティとして展開するなど、パート・ド・ヴェールを取り入れた作品づくりが広がり始めた。 現在では、作家ごとに様々な改良が加えられてその作風と技法は多様化し、現代ガラスの中に新しいジャンルを築いている。
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