作風と技法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 21:05 UTC 版)
ヤンは優れたミニアチュール作家でもあり、『ヘントの祭壇画』に見られる詳細表現にはその技量が遺憾なく発揮されている。ただし『ヘントの祭壇画』には、ヤンのほかの作品とは全く異なる点も多い。そしてヤンの絵画作品としてはこの『ヘントの祭壇画』は特定の個人向けではなく、最初から不特定多数の大衆が礼拝に使うことを目的に描かれた、おそらくは唯一の作品である。ファン・エイク兄弟はキリスト教的象徴を表す俗世のモチーフを極めて慎重に描いている。衣服、宝飾、噴水、周囲の自然物、教会、風景などで、これらはすべて驚くほど詳細に表現されている。風景には豊かな植物が、ほとんど科学的といえるほどに正確に描かれている。これらの植物の多くはヨーロッパ原産のものではない。 『ヘントの祭壇画』では光の描写が大きな役割を果たしており、この作品におけるもっとも重要な革新的技法となっている。複雑に踊る光と繊細な陰影描写は、艶のある透明な画肌の表現を可能にした、当時の最新技法である油彩技術の革新によっている。描かれている人物たちが地表に投げかけている斜めの影はごく短い。これについて美術史家ティル=ホルガー・ボルシェルトは「人々が明るい空間にいることを表現しているだけでなく、この光が人知を超えたものであることを意味している」としている。また、「受胎告知」の外装パネルに描かれている影は、画面外からの陽光が礼拝堂内部を照らし出していることを暗示する技法で描かれている。 『ヘントの祭壇画』におけるさらなる革新的要素は、光の反射や屈折を描き分けたモチーフ表面の質感表現である。「キリストの騎士」のパネルに描かれている降り注ぐ光を受けてきらめく甲冑や、「神の子羊」のパネルに描かれている噴水(生命の泉)のさざ波などがその好例となっている。ただし、『ヘントの祭壇画』に見られる多くの革新的技法は、突然この作品で現出したわけではない。長く培われてきた油彩技術や、伝統的なネーデルラント南部での祭壇画のデザイン技法が結実した結果であるともいえる。キリスト教をモチーフとした美術作品の極めて多数が、16世紀半ばの聖像破壊運動によって失われ、『ヘントの祭壇画』もこの時期に二度破壊されかけている。1566年8月19日と1576年には『ヘントの祭壇画』の破壊を企図する暴徒から作品を守るために警護兵が派遣されている。このような聖像破壊運動についてヘントの歴史家マルクス・ファン・フェネウィク(1516年 - 1569年)が、1566年の夏に起こった出来事を書き残している。その記録によると美術品を燃やす炎が10マイル以上離れた場所からも見ることができたとされている。美術史家スージー・ナッシュはこのような状況下で『ヘントの祭壇画』が聖像破壊運動にほとんど巻きこまれずに損傷を受けなかったことは、極めて希少な例であると指摘している。
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