作風と影響力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/09/30 11:00 UTC 版)
「ヨハネス・マルティーニ」の記事における「作風と影響力」の解説
マルティーニの手懸けた楽種は、ミサ曲、モテット、詩篇唱、イムヌスなどの宗教曲のほか、シャンソンなどの世俗歌曲がある。作曲様式は保守的で、とりわけミサ曲は、時おりブルゴーニュ楽派の伝統に戻ってしまっている。ヤーコプ・オブレヒトの作風との類似点は、マルティーニとオブレヒトが互いに知り合いだったか、少なくともマルティーニがオブレヒトの作品を知っていたという可能性を示唆する。オブレヒトは1487年にフェッラーラに滞在していたし、その作品は1480年代初頭にイタリア全土を席巻していた。 ミサ曲が保守的なのに対して、マルティーニは詩篇唱を初めて二重合唱のために交唱風に作曲した人物としても知られている。マルティーニ自身がこの作曲様式によって同時代に影響を与えることはなかったが、70年後にアドリアン・ヴィラールトとその門下によってこの手法はヴェネツィアで勢い付き、ヴェネツィア楽派のコーリ・スペッツァーティ様式として、バロック音楽以降のポリフォニー音楽の発展を活気付かせることになる。いずれにせよ、これが驚くべき発想だったのは間違いない。 世俗音楽は、フランス語とイタリア語の詩が利用されている。
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