近代における印刷技術の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 01:47 UTC 版)
その後、欧米においては長らく活版による文字、凹版による絵画、挿絵の印刷が行われた。活版印刷は熟練の植字工が必要であり、いまだ大量の印刷物を素早く印刷するというわけにはいかなかった。1642年にはドイツのルートヴィヒ・フォン・ジーゲンがメゾチントを発明した。18世紀初頭にはスコットランドのウィリアム・ゲドが鉛版を考案した。これは組みあがった活字に可塑性のあるものをかぶせて雌型を作り、それに鉛を注いで印刷用の板を再作成する方法で、組みあがった活字の再作成が容易になり、再版のコストを大きく下げた。こうした鉛版には当初粘土、次いで石膏が使われていたが、19世紀前半にフランスのジュヌーが紙を使って紙型を作成することを考案し、以後この方法が主流となった。1798年にドイツのセネフェルダーが石版印刷(リトグラフ)を発明。これが平版印刷の始めとなる。1800年にはイギリスのチャールズ・スタンホープ(スタナップ)が鉄製の印刷機を発明し、それまでの木製のグーテンベルク印刷機にとってかわった。1811年にはドイツのフリードリヒ・ケーニヒが蒸気式の印刷機を開発し、印刷能力は大幅に向上した。 手動蒸気式グーテンベルク型印刷機 1600年ごろスタンホープ印刷機1800年ごろケーニヒ印刷機1812年ケーニヒ印刷機1813年ケーニヒ印刷機1814年ケーニヒ印刷機1818年1時間当たりの印刷枚数 200 480 800 1,100 2,000 2,400 1851年には輪転印刷機が発明された。こうした機械化によって、印刷物はより速く大量生産でき安価なものとなった。1884年にはオットマー・マーゲンターラーがライノタイプと呼ばれる鋳植機を発明し、これによって印刷工が1行ごとにまるごと活字を鋳造できるようになり印刷はより効率化した。現在主流となっている平版オフセット印刷は、1904年にアメリカのルーベルが発明したといわれているが、それ以前にイギリスではブリキ印刷の分野で使用されていた。ルーベルの発明は紙への平版オフセット印刷である。1938年にはアメリカのチェスター・カールソンがゼログラフィ(静電写真法)を発明し、1942年に特許を取得した。この発明は複写機の技術的基礎となり、1960年にハロイド社(のちのゼロックス)がこれを商品化したことでコピー機は全世界に普及した。1985年にはアメリカでDTPが始まった。
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