近代におけるチャムの独立運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:49 UTC 版)
「チャム族」の記事における「近代におけるチャムの独立運動」の解説
チャムは10世紀頃からイスラーム教を受容し、現在はベトナムやカンボジアの少数民族として存続している。近代におけるチャムの独立運動として、ベトナム戦争の最中に存在したチャンパ解放戦線(英語版)(1962年 –1964年)、及びFULRO(ベトナム・カンボジア被抑圧諸民族闘争統一戦線)中部高原方面軍イーバム・エニュオル議長が樹立した「チャンパ中央高地共和国臨時政府」(1964年 - 1965年)がある。チャム語支やバナ語支に属する、複数の異なる言語・宗教・信仰をもつ人々が大同団結して戦った。FULRO 中部高原方面軍本隊は1969年に南ベトナム大統領グエン・ヴァン・ティエウに投降し、イーバム議長(エデ族、カトリック)も1975年にポル・ポト派に殺害された。しかし、中部高原方面軍カンボジア残存部隊のペン・アユンは1992年に国連カンボジア暫定統治機構 (UNTAC) 事務総長明石康に投降するまで、ベトナム残存部隊のトゥーニット・デン(コホー族、プロテスタント)は1995年にベトナム社会主義共和国国家主席レー・ドゥク・アインに投降するまで、20年にわたりゲリラ戦を継続した。
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