近代から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 01:23 UTC 版)
近代の様子。 1948年米軍撮影。 廃藩置県後、広島県安芸郡下蒲刈島村となる。広島藩の施設は役場などに転用された。 明治時代以降汽帆船の登場により風待ち潮待ちの港は必要がなくなり、そして鉄道(山陽本線)の登場により物流も変わったため、中継港としての存在意義はなくなり、小さな港町として存続していった。また戦前この地は呉市を拠点とした大日本帝国海軍呉鎮守府の管轄内であり、地図に記載されていない時期もあった。 戦後も島嶼の小さな港町として存続していった。1962年(昭和37年)町制施行により安芸郡下蒲刈町三之瀬に、1979年(昭和54年)蒲刈大橋開通により上蒲刈島と繋がり、2000年(平成12年)安芸灘大橋開通により呉市本土と繋がり、そして2003年(平成15年)呉市と合併により広島県呉市下蒲刈町三之瀬となる。こうした交通網の整備は新たな地域活性化に繋がる反面、下蒲刈島全体では宿泊客が減り幾つか民宿が廃業するなどの問題も起こっている。 現在この地で行われている地域活性化計画は、1990年(平成2年)安芸郡下蒲刈町時代に作成された「文化と歴史の掘り起こし」と、全島庭園化事業「ガーデン・アイランド構想」から始まる。具体的には朝鮮通信使を中心とした島の歴史の再発掘と、島を庭園に見立て芸術そしてマツを中心に飾り立てる構想である。翌1991年(平成3年)に蘭島閣美術館開館、そして庭園と通信使資料を展示する松濤園の整備が始まっている。そして国宝・国重文などの修復で著名な京都の安井杢工務店と連携し、質のいい古家をいくつかこの地に移設している。こうして三之瀬は古くからの港湾施設と文化施設が混ざり合った地区として形成されていった。
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