島の歴史
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能島、因島と並び、村上水軍の根拠地として知られる。来島村上水軍は、関ヶ原の戦いで西軍につき、豊後の森に転封されるまで、6代、約160年の間、この島に本城を置いた。近傍の小島(おしま)に枝城を築き、来島海峡を行き交う船舶に睨みを利かせていた。時代は下り、波止浜に塩田が築かれると、来島は塩買船や回船の集まる港町として繁栄した。来島、波止浜、波方(なみかた)には多くの船主が居て海運業が栄えた。菊間の瓦製造と結びついた瓦船、泥船、また北九州や宇部の石炭を阪神地方へと運ぶ石炭船が頻繁に行き来するようになった。海事都市をめざす今治市のルーツともいえる地である。 今日では漁業を中心とした島となっている。言い伝えによると、神の島として犬猫の四足のものを忌み、祭りの獅子さえ出さなかったとされる。 なお、来島城は現存せず、過去何回か調査が行われている。
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島の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 15:59 UTC 版)
第二次世界大戦前の日本の委任統治下時に『婚島』と命名されるまでは、無名の無人島だった。 1997年に吉田宏司が島のオーナー、キミオ・アイセック(Kimiuo Aisek)の協力を得て単身で移住。島名を『ジープ島(JEEP Island)』とし、開島した。 現在はウエノ島(旧名モエン島)にある『ブルーラグーンリゾート』ホテルの別館としてゲスト(日本人のみ)を受け入れている。 ドルフィンスイム、スクーバダイビング、レックダイビング(沈船ダイビング)のメッカ。 『世界の絶景100選 ついに決定! 死ぬまでに見たい100の絶景と地球一絶景大発表スペシャル』(フジテレビ 2009年2月20日放送)で、新庄剛志が紹介した島に架かる虹の景観が第1位に選ばれた。
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