近代と工業化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 23:53 UTC 版)
1808年に侯妃パウリーネ (リッペ侯妃)(ドイツ語版)は、農奴制の廃止を発表した。しかし農奴制時代と替わらず残された土地領主の税や兵役義務のために、関係者の生活状況の改善はなされなかった。 デーレントルプ町内では経済発展は停滞し、何世紀もの間小さな農村群のままで、収入源は農業とわずかな手工業だけであった。こうした状況は、1896年にビーレフェルトからラーゲとレムゴーを経由してハーメルンに至る鉄道の開通によって変化した。 19世紀の初めにデーレントルプ地域では、「フェルトブラントツィーゲライン」とよばれるレンガ工場が発達し、ここで黄土が採掘され、加工された。さらにフムフェルダー街道の北側で石英砂が発見され、採掘された。この砂は最初、板張りの床に撒くというプライベートな用途に用いられた。珪酸含度約 98.8 % の化学的に純粋な石英砂は、後にさらにガラス製造に工業的に使われるようになった。デーレントルプ地域の鉱脈はヨーロッパで最も高価値な石英砂鉱山の一つであった。この砂のもう一つのマイナーな用途が砂栽培である。砂の上の黄土は貯蔵され、後にフムフェルダー街道の南側に設けられたレンガ工場に利用された。 鉄道と連邦道 B66号線による良好な交通の接続を背景に、他の工業の発展もプラスに影響した。フムフェルトには多方面の家具工業が進出し、1950年から1975年までの間に最盛期を迎えた。この他に観光業も上向きになり、重要な経済ファクターの一つに発展した。しかし、デーレントルプの職場は、不足したままであった。約 2,800人が町外に通勤しているのに対して、町内に通勤してくる労働者は 471人であった。多くの通勤者はレムゴー、バルントルプ、デトモルトに職場を有している。
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