近代から現代における霊廟とは? わかりやすく解説

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近代から現代における霊廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:21 UTC 版)

マウソロス霊廟」の記事における「近代から現代における霊廟」の解説

1856年マウソロス霊廟遺跡調査するために、大英博物館考古学者チャールズ・トーマス・ニュートンを送ったニュートンは、プリニウスなど古代学者書いた書物を読むなどして、おおよそ大きさ位置把握していた。ところが困ったことに、最も有望と目星をつけた場所は住宅地になっていた。渋る所有者から土地買い上げなければならなかったが、ニュートンめげずに2ヶ月以上ねばり、買い上げ成功した。そこを掘り進めていくと、はたして壁、階段そして基礎出土した。さらに、ペルシアクセルクセス1世の名が刻まれ豪華な壺も見つかり、ニュートン確信裏付けられた。その後階段埋めている瓦礫切り込んでいくうちに、霊廟入口廊下が見つかり、の間も掘り当てられた。無論、そこはすでに略奪されたあとで、何も残っていなかった。 1960年行われた考古学者調査では、聖ヨハネ騎士団立ち入るずっと以前に、盗賊の間の下にトンネル掘って略奪してたらしいことが明らかになった。加えてマウソロスアルテミシア遺体火葬されたので、の間には遺灰入れた骨壷しかなかったとされている。 現在も霊廟遺跡ボドルム市内残されており、遺跡の横には博物館建てられている。この博物館では近年の調査に基づく見解ならびにかつて霊廟にあった礎石彫刻などの遺物を見ることができる。また、イスタンブールにはトルコの歴史建造物一つとして霊廟ミニチュア置かれている。 現在大英博物館には、ニュートンたちが見つけた遺物加え十字軍入手し後にイギリス大使の手渡ったマウソロス霊廟彫刻収蔵されている。有名なものを挙げると、屋根の上にのっていた一頭馬の像馬車車輪77断片から復元されマウソロス像、8頭の獅子像の断片などがある。

※この「近代から現代における霊廟」の解説は、「マウソロス霊廟」の解説の一部です。
「近代から現代における霊廟」を含む「マウソロス霊廟」の記事については、「マウソロス霊廟」の概要を参照ください。

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