近代〜現代
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宿場町である楢下は家屋が密集していたことから、大正から昭和初期にかけては夜警が組織され火災予防に務めていた。期間は春から秋で、地内の4箇所に自身番小屋(町内の番所)を設けて各戸順送りで2名ずつ出勤し、金棒を引いて火の用心を訴えた。 1997年(平成9年)9月11日、楢下宿の街並みと金山峠の道が羽州街道の様子をよく表す地区として国の史跡に選出された。2014年(平成26年)7月、東方地方に停滞していた梅雨前線が台風8号の影響を受け活動が活発になり9日から10日にかけて豪雨に見舞われ金山川が増水。これにより街道の法面が崩落し木橋が損壊。楢下観測地点では9日22~23時の1時間で雨量28mmを記録。同日の24時間では雨量141mmを記録した。また、同地点の水位は氾濫危険水位1.9mに対し、10日午前1:00時点で2.68mに達するほどであった。2019年(令和元年)、地内の赤山橋の大規模改修が実施される。これは産官学連携のもと行われ、東北大・岩手大と上山市が組み最新技術を導入し、地元企業が施行した。
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近代〜現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:55 UTC 版)
近代に入ると、流通の発達や冷蔵設備の普及、冷凍技術の発達に伴い、日本全国津々浦々で新鮮な刺身が食べられるようになった。 特にマグロに関しては、近世までは醤油漬が江戸で食されたに過ぎないが、冷蔵技術の進歩により、全くの生の状態で日本中に流通するようになった。またサケや一部のイカのように、寄生虫を持つために従来は生食に適さなかった魚も、冷凍処理で寄生虫を殺す事で生食できるようになった。もっとも、大正時代頃まで刺身といえばヒラメやタイのような身の透き通った魚を使ったものに限られ、例外のカツオを除いた「色物」の刺身は下魚として蔑まれていた経緯がある。
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