近代から現代の戒律運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:37 UTC 版)
「日本仏教の戒律史」の記事における「近代から現代の戒律運動」の解説
明治5年(1872年)に以下のような太政官布告が出された。 今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず — 太政官布告第133号 前年に出された寺請制度の廃止と合わせて官僧が廃止された。末木は、これにより江戸時代には身分制度の枠外であった僧侶の特殊性が失われて普通の戸籍の中に組み込まれたとし、僧侶は単なる世俗の中の一職業になってしまったと指摘している。 これに対し、浄土宗の福田行誡はこの布告の撤回を明治政府に求めるなど、戒律護持を求める運動が起こる。福田らの戒律復興運動は慈雲の『正法律』をモデルとした。また、釈雲照は僧侶だけでなく、在家信者にも戒律主義を呼びかけ、十善戒運動を繰り広げる。そのため布告後に直ちに僧侶の妻帯が一般化したわけではなかったが、明治30年代になると僧侶の妻帯は真宗以外にも次第に一般化していく。 現在の日本仏教において僧侶の肉食・妻帯・蓄髪は各宗派の自主的な戒律によっており、戒律自体が宗教的な問題として取り上げられる事はほとんど無い。また、今なお戒律問題がある東南アジアや中国と比較すると、日本仏教において僧侶の妻帯は一般化されており特徴の一つとなっている。こうした日本仏教界の現状は仏教の世俗化としてとらえられる事が多く、タイやスリランカなどでの評判は良くない。また、現代の仏教学などの分野においても戒律研究は脆弱であり、戒律が日本人の倫理観や道徳思想に与えた影響について明確になっていない。
※この「近代から現代の戒律運動」の解説は、「日本仏教の戒律史」の解説の一部です。
「近代から現代の戒律運動」を含む「日本仏教の戒律史」の記事については、「日本仏教の戒律史」の概要を参照ください。
- 近代から現代の戒律運動のページへのリンク