蕨野の棚田(相知町)
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出展:日本の棚田百選 | ![]() |
基 礎 諸 元 | 平均勾配 | 団地面積 |
1/4 | 40 ha |
維持・保全・利活用状況 |
本集落の棚田では、灌漑用水を谷水だけではなく、八幡岳山頂周辺の2カ所の
溜め池にも依存し稲作が営まれている。溜め池から用水は、八幡岳北側斜面に沿っていくつもの谷筋を横断している開渠「横溝」を使って導水し、それぞれの谷毎に分水されている。毎年5月下旬に集落関係者総出で「横溝掃除」をし、溜め池の水通
しを行い、以降9月まで管理人(水番)を置いて、溜め池斜樋栓・横溝・分水地点の管理を行っている。 また、本集落の生産組合や集落内中堅有志で組織する「ふるさと会」では、耕作放棄地を借り受けた「蕨野花園」に、春は「レンゲ」、夏は「ひまわり」等を栽培し、耕作放棄地の解消に努めるとともに、地元農協と連携した棚田農作業体験ツアー(田植え・稲刈り)を実施し、都市部住民との交流を図っている。 さらに、本地区では、「ふるさと会」を中心に、先進地への優良事例研修や保全のための基盤整備が積極的に導入されており、棚田の保全や地域資源として有効活用に向けて取り組まれている。 |
推薦項目 | 景観 伝統文化の維持保全 |
推薦理由 | 景観:「石積の雄大さ」石積法面が山の斜面
に沿って立ち上がっていく景観は、まさにピラミッドと形容される。底辺に位
置する田から最上段の田の石積法面を見ると、「霞がかりの山城」を望むようであり、立ち迫るような立体感は、見るものを圧倒してやまない。 伝統文化の維持保全:「伝統的石積技術」本集落の起源は、この地に人が住みついた戦国時代といわれ、棚田開墾は江戸時代末期から盛んとなり、明治初期に旧溜が築造され、新溜が昭和19年に築造されると、灌漑用水の確保と相俟って棚田地域は、急速に拡大していった。これらのことは石と格闘しながら「村を拓いた」苦労の歴史として集落代々に伝わっている。棚田法面 は、開墾時に出土した玄武岩と砂岩の円礫で堅固に石積みされており、石の大きさは、大きいもので表面 (おもてづら)縦横1.0m以上で、石積の高さは3~8mが多く、中には10mに達するものもある。石積技法は2種類みられ、①全面 が野面石積石垣(曲線的法畦畔)、②隅を有効に活用するため算木積み石垣(直線的法畦畔)で、棚田はこの技法を組み合わせ、標高150m~420mまでの斜面 に、約1,050枚が造成されている。 また、本地区では、棚田造成に際して、地下部に石造暗渠を巡らし、これにより用水の有効活用や迅速な排水がなされている。石造暗渠は、天井・両側が一枚岩で底部は小石を敷き詰めてあり、大きいものでは、1m四方となっている。 |
棚 田 の 概 況 | 枚 数 | 1050 枚 | 水 源 | 河川(渓流含む) 溜め池 |
事業導入 | 有 | 法面構造 | 石積 | |
開発起源 | 近世(戦国~江戸時代) |
営 農 の 状 況 | 対象農家数 | 48 戸 | 10a当収量 | 563 kg/10a |
戸当り営農規模 | 0.8 ha/戸 20 枚/戸 | |||
高付加価値農業 | カントリーエレベーターを建設中で、棚田枚を商品化検討中。 |
特記事項の有無 | 本地区では、山斜面の開墾や石積に多くの人手を必要とするため、共同作業体「手間講」が生まれている。この共同性は、集落の強い結びつきとして、現在にも継承されており、本地区の棚田の維持・保全・利活用の原動力になっているものと思われる. |
(注:この情報は平成11年のものです)
蕨野の棚田
名称: | 蕨野の棚田 |
ふりがな: | わらびののたなだ |
種別: | 重要文化的景観 |
都道府県: | 佐賀県 |
市区町村: | 唐津市 |
管理団体: | |
選定年月日: | 2008.07.28(平成20.07.28) |
選定基準: | 選1 |
追加選定年月日: | |
解説文: | 「蕨野の棚田」は、唐津市相知町内に所在し、蕨野区と池区の二つから成る。棚田は、八幡岳の馬蹄形状をした北向きの急斜面地に約36haにわたってひろがっている。棚田の石積みは野面積みを基本とし、平均の高さは3~5m、高いものでは8.5mに及ぶ。池区には棚田の水源となる2つのため池(明治18年、昭和12年)がある。 棚田の築造には二つの特徴がある。一つは「石垣棟梁」と呼ばれる専門の石工とこれを手伝う村人が、「手間講」と呼ばれる協同の石築作業を行い、石積みの維持管理を支えてきたという点である。もう一つの特徴は、棚田に水を配分する水利システムとその構造である。棚田の築造は、少なくとも江戸後期にまで遡ると考えられるが、現存するものの大半は明治~昭和20年代までに形成されたものである。 「蕨野の棚田」は、棚田とその周辺の森林及び水利システムが、固有の石積技術や地域の協同作業に基づいて維持されるとともに、それらの有機的な関係が、一体の土地利用として発展した重要な文化的景観である。 |
重要文化的景観: | 四万十川流域の文化的景観 源流域の山村 宇治の文化的景観 小鹿田焼の里 蕨野の棚田 近江八幡の水郷 通潤用水と白糸台地の棚田景観 遊子水荷浦の段畑 |
蕨野の棚田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/18 02:39 UTC 版)
![]() 棚田の全景 | |
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所在地 |
![]() ![]() 唐津市相知町平山上蕨野 |
---|---|
枚数 | 1,050枚(2003年) |
平均勾配 | 1/4(約14°) |
営農戸数 | 48戸(2003年) |
単位収量 | 563kg/10a(2003年) |
法面構造 | 野面積み石垣 |
面積 | 40ha(耕作面積36ha[1]) |
開発起源 | 江戸時代 |
高付加価値農業 | 棚田米 |
選定 |
日本の棚田百選 重要文化的景観 遊歩百選 |
出典 : [2][3] |
蕨野の棚田(わらびののたなだ)は、佐賀県唐津市相知町平山上蕨野にある棚田。八幡岳(標高764m)の北側斜面に築かれており、面積は40ha[4][1][2][5]。
1999年(平成11年)に農林水産省の日本の棚田百選に選定されている。また、周辺の山林を含めた景観が2008年(平成20年)に国の重要文化的景観に選定されている[5]。このほか、2002年に読売新聞社記念事業「遊歩百選」に選定されている[6]。
概要と特徴


相知町中心部から南に約5km、松浦川の支流である平山川沿いの標高150m付近に蕨野の集落がある。蕨野は西・南・東の三方を山に囲まれたすり鉢状の地形で、集落は山々の麓に位置する。区画数1,050枚に及ぶ棚田は、集落の上、標高180m付近から420m付近までの高低差約240mに亘り築かれており、集落から見上げると斜面に沿い扇形に広がっている。江戸時代に築かれた棚田もあるが、現存するものの多くは明治から昭和初期にかけて築かれた[5][3]。
山麓には、沢が削り取った小さな谷に沿う5つの字(大平、石盛、南川原、下ノ木場、九郎)があり、棚田はこれらの谷沿いに分布する。そして、棚田の間の丘にはクヌギやスギ、竹などからなる林があって里山を形成し、その上方には自然林も残る八幡岳の森林が広がっており、八幡岳県立自然公園に指定されている[5]。国の重要文化的景観の選定種別にも、「水田・森の複合景観」が挙げられている[7]。
玄武岩の自然石を用いた野面積み(のづらづみ)石垣でできた畦畔と、地下を張り巡らされた暗渠の石積み水路を特徴とする。石垣は、石工技術を代々受け継ぐ「石垣棟梁」と農民による互助組織「手間講」によって維持管理されてきた。平均傾斜が約14°と他の棚田と比較しても傾斜が急な部類に入るため、そそり立つような石垣群は山城にも形容される[2][3]。
歴史
開発
蕨野に初めて棚田が作られたのは、少なくとも江戸中期または後期とされる。当時の棚田は現在よりも規模がかなり小さく、集落や沢の近くなどに点在する程度で、周囲はまだ原野であり家畜の飼料や肥料を得る草刈り場となっていた。開発が本格化したのは、明治に入って村が所有していた原野を農家が払い下げてからである。開墾面積は、江戸時代から1887年(明治20年)までに約20haであった[3]。
また、水田拡大に必要な用水を賄うため、平山川支流の大平川上流でため池の造成が行われ、1888年(明治21年)に完成した(池旧溜)。このため池は昭和に入ってさらに拡張されるとともに、13年をかけて新たなため池も造成された。新しいため池は1945年(昭和20年)に完成した(池新溜)[3]。
池新溜からは、平行する沢へ水を送るため、山腹を横断する「横溝水路」が設けられ、それぞれの沢に用水を供給する。蕨野の特徴として、上の田で溢れたオーバーフローの水が下の田へと流れる形式がほとんど見られない。田では取水口のすぐ近くに排水口があり、用水は暗渠を通して速やかに下の田に送られる。取水が必要な際には、竹樋(現在はビニールパイプ)を取り付けて田全体へと水を送る仕組み。これは、上流の冷たい水により田の水温が下がることを防ぐためで、更に、大雨による増水時には水を通過させることで田の水位を一定に保つ効果がある。暗渠は棚田の造成と同時に築かれており、棚田の広さを確保することに役立った。なお、暗渠は人が入れる約1m四方のものから、20cm四方のものまであり、蕨野全体では97か所に上る[3][8]。
石垣の高さは3mを超えるものが多い。南川原地区には、棚田の石垣としては日本で最も高い8.5mの石垣があり、その石垣が囲う約3,000m2の田は「三反の田」と呼ばれている。この田は元々あった狭い水田の山側と谷側の2つの畑を切り崩して造成され、10年間をかけて1935年(昭和10年)に完成した[9]。
こうした水利の拡大により、1887年から1911年(明治44年)までに約9ha、大正時代に約3ha、昭和時代(昭和20年代まで)に約22haが開墾され、最も広かった昭和時代には54haに及んだ[3]。また、この地域で開墾が進んだ背景には、明治以降、近隣の上平山地区や厳木町に炭鉱(相知炭鉱)が開かれて栄えたことなども挙げられる[5]。
保存運動
ただ、平地よりも労力が大きい割に収量は多くないという棚田の特徴は蕨野にも当てはまり、高齢化や離農により耕作放棄地が増加していった。そんな中、1980年代から地元の有志により保存運動が始まる[3]。大きな契機となったのは、1997年(平成9年)に佐賀県により「佐賀県むらぐるみ発展運動」の重点推進地域に指定されたことである。この後押しにより運動は活発化し、2001年(平成13年)地元農家計36戸により「蕨野棚田保存会」が結成される。会では、佐賀県が開発し1999年に品種登録された新品種「夢しずく」[10]の栽培に取り組み、ブランド米「棚田米 蕨野」として出荷を始めた[11]。
また、2003年(平成15年)には旧相知町と佐賀大学農学部が地域交流協定を締結し、学生・地元住民・他地域の市民が参加した現代版の「手間講隊」を結成、耕作放棄地の活用、有機農法や無農薬農法の実験、環境教育や食育の場としての活用が行われている[12]。
これらの活用運動は評価を受けており、既述の遊歩百選への選定のほか、2002年(平成14年)に佐賀新聞の社会大賞を受賞したほか、2003年(平成15年)には蕨野棚田保存会が佐賀農業賞・活力ある「むら」づくり部門を受賞、同年に農林水産祭・むらづくり部門 九州農政局長賞を受賞している[6]。また、2004年(平成16年)には、第10回全国棚田(千枚田)サミットの開催地となった[13]。
棚田の造成


棚田の形成過程としては、明治前期までは山林を切り開いてまず畑を作り、次に石垣を築いて段々畑として、後に水を入れて水田とする段階的な方式が主であったが、ため池が完成した明治後期からは山林を直に水田とすることもあった。造成を担う「手間講」には石垣棟梁の指揮の下で多くの農民が参加し、地域が一体となって行われた[9]。
石は、八幡岳から掘り出した「金石(かないし)」と呼ばれる硬い黒色の玄武岩や「蜂目石」と呼ばれる多孔質の凝灰岩を用いた。石垣の石は大きなもので直径1m・重さ100 - 200kg程度ある。大きな岩石はたき火で加熱した後水で急冷したり、火薬で発破をかけて割った後、2人がかり、あるいは牛馬に引かせて運んだ。石積みには、鉄挺や玄翁などの道具が用いられた。漏水防止のため、石垣の裏には「裏栗」と呼ばれる小石が敷き詰められた。ただし、裏栗だけでは漏水を完全に防ぐことはできず、毎年、代掻きの後には「畦塗り」と呼ばれる補修作業を行う。このほか、石垣の草刈りを行う際の足場とするため、一部の石をわざと突出させる工夫もされている[3][9]。
田の土は、玄武岩が風化した赤土を練ったものを厚さ10 - 20cm程度敷き詰めて「盤土」とし、その上に15cm程度の「表土」をかぶせている。地盤の水平を保つため、竹や水を用いた簡易な水準器も用いられた[9]。
維持管理・活用
ため池から各沢へ通じる「横溝水路」の閉塞防止のため、毎年5月下旬には集落総出で掃除を行う。また、以降収穫期の9月まで、水番を割り当てて管理を行っている[2]。
他方、市民参加型のイベントとして、耕作放棄地を再生させた上で活用し、田植えや稲刈りなどの農作業体験を行っている。また耕作放棄地の活用策として、さらに冬から春にかけての休耕期の水田を利用した観光資源化の策として、冬から春にレンゲソウや菜の花、夏にヒマワリを栽培し、イベントとして種播きや花畑でのウォーキング・ハイキングなどを行っている。蕨野の集落は佐賀市や福岡市から車で1時間程度であるが、特に都市化が進んでいる福岡市からの参加者が多い特徴があるという[2][3][12][14]。
ブランド米
地元農家により結成された「蕨野棚田保存会」の主導により、ブランド米「棚田米 蕨野」(品種:夢しずく)の生産が行われている。2001年には「九州米サミット」に出品し、普通作部門で最優秀賞を受賞した[5][11]。
蕨野では通常、5月上旬から下旬ごろに代掻きや田植えを行い、6月から石垣の草刈りなどの手入れをし、9月中旬に稲刈りを行う。また休耕期を利用して、10月中旬に菜の花の種播きを行い、3月下旬に見ごろを迎えた後、4月中旬に田起こしを兼ねて菜の花を土にすき込む流れとなる[6][15]。
アクセス
脚注
- ^ a b 「蕨野の棚田(わらびののたなだ) -石垣棟梁と村人でつくられた優美な棚田-」農林水産省、2015年6月21日閲覧
- ^ a b c d e 「日本の棚田百選 佐賀県 01 蕨野の棚田(相知町)」、一般社団法人 地域環境資源センター、2015年6月18日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j 遠藤徹也「実りを味わう「蕨野の石積み棚田」 (PDF) 」、建設コンサルタンツ協会『建設コンサルタンツ協会誌』262号、2014年1月、28-31頁
- ^ 農林水産省の資料によると、耕作面積は36ha。
- ^ a b c d e f 『蕨野の棚田 日本の棚田百選』2-3頁
- ^ a b c 「蕨野の棚田」、2004年全国棚田(千枚田)サミット実行委員会事務局 HP、2015年6月21日閲覧
- ^ 「蕨野の棚田(わらびののたなだ) -石垣棟梁と村人でつくられた優美な棚田-」農林水産省、2015年6月21日閲覧
- ^ 『蕨野の棚田 日本の棚田百選』9-11頁
- ^ a b c d 『蕨野の棚田 日本の棚田百選』5-9頁
- ^ 「夢しずく」農林水産省 登録品種データベース、2015年6月21日閲覧
- ^ a b 「米づくり」、2004年全国棚田(千枚田)サミット実行委員会事務局 HP、2015年6月21日閲覧
- ^ a b 『蕨野の棚田 日本の棚田百選』12-14頁
- ^ 「全国棚田サミット開催地」全国棚田(千枚田)連絡協議会、2015年6月21日閲覧
- ^ 「棚田での活動」、2004年全国棚田(千枚田)サミット実行委員会事務局 HP、2015年6月21日閲覧
- ^ a b 「佐賀県の棚田 唐津市相知町」、佐賀県、2015年6月21日閲覧
参考文献
- 佐賀県相知町(相知町役場農林観光課)発行 『蕨野の棚田 日本の棚田百選』2003年3月(2004年全国棚田(千枚田)サミット実行委員会事務局 HPに掲載)
関連項目
- 見帰りの滝 - 日本の滝百選・唐津市相知町伊岐佐
外部リンク
- 「さが棚田ネットワーク 棚田百選めぐり 蕨野(わらびの)の棚田」「佐賀県の棚田 唐津市相知町 蕨野の棚田」 - 佐賀県
- 「水土里電子博物館 重要文化的景観 石積棚田「蕨野の棚田」」 - 農林水産省
- 「蕨野の棚田」 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 「NPO法人 蕨野の棚田を守ろう会」
- 「蕨野の棚田」 - 一般社団法人唐津観光協会
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