小鹿田焼の里とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 小鹿田焼の里の意味・解説 

小鹿田焼の里

名称: 小鹿田焼の里
ふりがな おんたやきのさと
種別 重要文化的景観
都道府県 大分県
市区町村 日田市
管理団体
選定年月日 2008.03.28(平成20.03.28)
選定基準 選複
追加選定年月日
解説文: 日田市最北端大分県福岡県との県境位置する小鹿皿山・池ノ地区は、北に英彦山控え耶馬日田英彦山国定公園南西部占め地域である。日田市北部を南流する小野川源流一つである大浦川及び五色谷川形成した狭隘谷地において両地区形成され水・土・木といった地域資源巧みに利用した生活・生業営まれてきた。皿山地区では、当地採取される陶土利用した小鹿田焼生産が行われる。「唐臼」と呼ばれる陶土粉砕する施設河川水力及びアカマツなどの木材活用したものであり、窯焼き燃料には周辺産出される材が用いられる。池ノ地区では、急峻な斜面地に当地分布するプロピライト変朽安山岩)を利用した石積み棚田形成され、「除け」と呼ばれる独特の水利システムによって営農継続されているほか、シイタケ生産材を活用した薪炭材生産が行われる。「小鹿田焼の里」は、英彦山系を源とする大浦川及び五色谷川によって形成され狭隘谷間営まれる水・土・木等の資源活かした窯業農業といった生業が、当地における生活の在り方を示す重要な文化的景観である。

小鹿田焼

(小鹿田焼の里 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 14:50 UTC 版)

小鹿田焼の大皿。「飛びカンナ」と呼ばれる柔軟性のある金属製の薄いヘラで付ける削り文様が小鹿田焼の特徴の一つである。

小鹿田焼(おんたやき[1])は、大分県日田市の山あい、源栄町(もとえまち)皿山地区で焼かれる陶器である[2]江戸時代中期に始まり[2]、現在も機械を使わず手作りが続けられている[3]。小鹿田はこの集落の通称で、十数軒のうち、2024年時点で小鹿田焼の窯元が9軒ある[2]

その陶芸技法が1995年平成7年)に国の重要無形文化財に指定され、2008年(平成20年)3月には地区全体(約14ヘクタール)が「小鹿田焼の里」の名称で、池ノ鶴地区の棚田とともに重要文化的景観として選定されている[3](「文化財」も参照)。地元には市立の小鹿田焼陶芸陶芸館がある[4]

概要

小鹿田焼は、江戸時代中期の1705年宝永2年)若しくは1737年元文2年)に、江戸幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、山を隔てた現在の小石原(現在の福岡県)から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と、彼を招いた日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。元は、享和年間に小石原焼の分流の窯として開かれていたものであるという[5]。このため、小鹿田焼の技法は小石原焼の影響を強く受けている。

朝鮮登り窯を用い、飛び(カンナ)、刷毛目、描きなどの道具を用いて刻んだり、化粧土をかぶせたりしてつける幾何学的紋様を特徴とし、手間をかけた技法で製作される[2]。飛び鉋は、時代の修式窯飛白文壺との類似が見られる。また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられ、原料によってセイジ(緑)、アメ(飴)、クロ(黒)が主である。

小鹿田では黄褐色の粘土が採れるが、陶土としては瀬戸焼愛知県)など他の陶器産地に比べ扱いづらい。掘り出した後に10日乾燥させて木槌で砕き、「唐臼(からうす)」と呼ばれるで20〜30日搗く。こうしてできた土粒に水を加え、何度も濾してにして、それを水抜きや天日または窯の熱による乾燥で2カ月かけて仕上げる。焼くと火ぶくれや変形しやすく、鉄分が多いため黒っぽくなるが、刷毛目や指描き、櫛描きによって付けられる文様および釉薬との相乗効果で「用の美」(柳宗悦)が現れる[3]ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いており、「ギィ」「ドン」といった音を立てる[2]。このため「小鹿田皿山の唐臼」は1996年(平成8年)、「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている[2]

各窯元は手作業の家族経営で、体力が必要な土練りや成型は男性が担い、女性は釉薬掛けや窯入れを担当することが多い[6]。各窯元の技法は後継者のみに伝承する一子相伝で受け継がれてきた[7]。唐臼の動力となる大浦川の水量、狭い山間部で窯を造れる用地、の確保、販路などのバランスで自然と生産規模が制約され、家族経営が続いてきた[3]

「日田もの」と呼ばれていたこの地の陶器を「小鹿田焼」と呼ぶよう薦めたのは、民藝運動を提唱した柳宗悦である。久留米(福岡県)の陶器店で見つけて惹かれ、1931年昭和6年)にこの地を訪れ、『日田の皿山』『手仕事の日本』で評価し、世に知らしめた[3]。柳は「世界一の民陶」と呼んだ。民藝運動の賛同者で、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家バーナード・リーチも陶芸研究のため、1954年(昭和29年)[3]、1964年(昭和39年)に滞在して作陶を行ったことにより、小石原焼と共に小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになった。

2011年(平成23年)7月22日に大分県で8例目の地域団体商標に登録されている[8]

2017年(平成29年)7月の豪雨により、44基ある唐臼の6割以上が稼働不能となり、原材料となるも入手困難、陶土は前年の熊本地震による被害からの復旧工事が始まる直前にがけ崩れを起こして採掘不能、保存していた陶土の多くも流出するという壊滅的な被害となった[9]。その後、2019年令和元年)に窯元1軒が廃業して9軒になったが[6]、唐臼などの生産設備や作陶活動は復旧し、2018年(平成30年)からは「小鹿田焼民陶祭」を再開している[7]。2023年(令和5年)7月8日~9日にも豪雨で39基あった唐臼が流出や土砂流入といった被害を受け[10]、民陶祭が中止された[2]。2024年(令和6年)の民陶祭は、被災に先立つ新型コロナ禍による中断を含めて5年ぶりに開催された[11]

小鹿田焼の里の風景

窯元

窯元が10軒だった時期は、小石原村から招かれた陶工の子孫である柳瀬家が2軒、陶工招聘の資金を出した黒木家[3]の子孫が3軒、土地を提供した坂本家[3]の子孫が4軒、黒木家の分家である小袋家が1軒であった。集落の中心にある登り窯は近くの5軒が共同で使っている[2]

文化財

小鹿田焼の窯元は代々長子相続で技術を伝え、弟子を取らなかったため、小石原から伝わった伝統技法がよく保存されており、これが重要無形文化財に指定された大きな理由となった。現在9軒ある窯元は、全てが開窯時から続く柳瀬家、黒木家、坂本家の子孫にあたる。窯元は、共同で土採りを行ったり、作品に個人銘を入れることを慎んだり[3]するなど、小鹿田焼の品質やイメージを守る取り組みを行っている。窯元によって構成される小鹿田焼技術保存会は重要無形文化財の保持団体に認定されている。

また、窯元がある皿山地区と棚田が広がる池ノ鶴地区が重要文化的景観として選定されている[12]

脚注

  1. ^ 2位 小鹿田(大分県日田市)土つく音、薪燃える音…昔ながら日本経済新聞』2019年10月12日・土曜朝刊別刷り NIKKEI+1(1面)
  2. ^ a b c d e f g h 毎日新聞』朝刊2024年9月29日わたしのふるさと便・大分県【逸品オススメ】日田市「小鹿田焼」土地の恵みと技 連綿
  3. ^ a b c d e f g h i 【はじまりを歩く】小鹿田焼(大分県日田市)唐臼の音響く 一子相伝の里/陶土に2カ月 用の美を追求『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」 2020年10月10日6-7面(2020年10月23日閲覧)
  4. ^ 小鹿田焼陶芸陶芸館 日田市(2020年10月22日閲覧)
  5. ^ 唐橋世濟著『豊後国志』1803年(享和3年)
  6. ^ a b 「小鹿田焼窯」1軒、作陶終える 後継難に決断、窯元9軒に西日本新聞』朝刊2019年2月19日(2019年10月16日閲覧)
  7. ^ a b 「小鹿田焼民陶祭」豪雨復興アピール 日田市で開催 産経新聞ニュース(2019年10月13日)2019年10月16日閲覧
  8. ^ 小鹿田焼に本物の証し 特許庁に登録」『大分合同新聞』2011年9月29日
  9. ^ “唐臼ない、陶土ない…2年続きで被災、小鹿田焼悲鳴 民陶祭、見通し立たず”. 『西日本新聞』. (2017年8月3日). オリジナルの2017年8月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170803135240/https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/348075/ 
  10. ^ [やきもの界ニュース]小鹿田焼産地では唐臼にダメージ、民陶祭が中止」『陶説』2023年8月号(日本陶磁協会)
  11. ^ 日田市の小鹿田焼の里で「民陶祭」始まる 5年ぶり、多くの陶芸ファンでにぎわう 大分合同新聞プレミアムオンライン(2024年10月12日)2024年10月31日閲覧
  12. ^ 2008年に皿山地区と池ノ鶴地区約14ヘクタールが選定され、2010年には周囲の山林約225ヘクタールが追加選定されている。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小鹿田焼の里」の関連用語

小鹿田焼の里のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小鹿田焼の里のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小鹿田焼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS