番組でのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:24 UTC 版)
「子守康範 朝からてんコモリ!」の記事における「番組でのエピソード」の解説
2008年11月15日には、嘉門達夫をゲストに迎えて公開収録を実施。同月17日にその模様が放送された。なお嘉門は、2010年1月25日(月曜日)の生放送でスタジオにも登場した。 東京から放送していた2009年3月7日には、MBSが出資した映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞で邦画初の外国語映画賞を受賞したことを記念して、主演の本木雅弘が6:30過ぎからエンディングまで生出演。撮影の裏話に加えて、子守が局アナ時代に共演した『MBSヤングタウン』の思い出話も披露した。また放送中には、15年振りに再会した子守のことを、「コモさん」と呼んでいた。 金曜日の東京出張が終了した2009年6月3日にも、赤坂Bizタワーから生放送を実施した。放送終了後には、子守が『森田一義アワー 笑っていいとも!』のオープニング企画「アラ2は誰だ!?」へ素人出場者と一緒に出演。 フジテレビ系全国ネットの番組(関西地区は関西テレビで放送)にもかかわらず、当日の毎日新聞大阪版に掲載のラジオ番組表を紹介しながら、当番組を宣伝した。当番組では、「MBSラジオ スペシャルウィーク」の間近ということもあって、数日前から同コーナーへの出演を予告していた。 子守は、2009年7月21日の放送終了後、屋久島(鹿児島県)での皆既日食観測弾丸ツアーに参加。そのため、翌22日の放送では、滞在先の鹿児島空港から携帯電話を通じて番組を進行した。さらに、『上泉雄一のええなぁ!』の放送中に、屋久島からの電話で皆既日食の模様を伝えた。子守は22日中に帰阪。23日の放送では、通常どおり大阪のスタジオから出演している。2012年7月27日(金曜日)の放送では、体調不良の子守に代わって、上泉が急遽全編のパーソナリティを担当。さらに、当番組の生放送を終えてから、通常どおり『上泉雄一のええなぁ!』にも出演した。 2009年夏の高校野球期間中には、ABCラジオが第1試合の中継前に高校野球情報番組『甲子園てんこもり』(4試合の開催を予定している日限定)を放送していたことから、子守が番組内で「元祖てんこもりは、こちらです!」と連呼していた。 2009年8月24日から8月26日までは、MBSラジオで第45回衆議院議員総選挙の政見放送を編成した関係で、当番組の開始時間が5:30に繰り下がった。 2010年1月15日には、金環食の見物でコモリン岬(インド、タミル・ナードゥ州)に滞在する子守の代役として、当時『加藤ヒロユキ 週末のソムリエ』(土曜日の同時間帯にMBSラジオで放送されていた生放送番組)でメインパーソナリティを務めていた加藤がパーソナリティを担当。子守も、当番組の7時台に、現地からの電話リポートで登場した。子守は、前日の生放送に最後まで出演してから、コモリン岬に向けて出発。当日は、『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』(MBSラジオ)の中で、16:45頃から約10分間にわたって電話で金環食の瞬間を実況した。実況の模様は、YouTubeにて子守自身がアップロードした映像を通じて閲覧できる(こちらより閲覧可能)。なお、子守は帰国後の同月18日放送分より、再びスタジオから当番組へ出演している。 加藤は、『加藤ヒロユキ 週末のソムリエ』の終了(2010年3月)を受けて、同年4月から「コモン倶楽部」(日替わりコモんテーター)の一員として当番組の火曜日に出演している。 2010年11月18日(木曜日)と11月19日(金曜日)には、子守の体調不良により、元アナウンサーの伊東正治(毎日放送ラジオ局プロデューサー、子守のアナウンサー時代の上司)が子守の代役で急遽メインパーソナリティを担当。18日には、『MBSヤングタウン』月曜日でも共演した大津とともに、6時台・7時台の生放送を進めた。ちなみに伊東は、ラジオ局の編成部長時代に、当番組の立ち上げに関わっていた。2011年には、2月4日(金曜日)と2月7日(月曜日)~2月9日(水曜日)の放送でメインパーソナリティ代理を務めている。 2012年には、腰痛を発症した子守に代わって、3月12日(月曜日)~3月16日(金曜日)の生放送で代役を務めていた。 2013年には、子守の休暇中に当たる1月28日(月曜日)~2月1日(金曜日)の放送に、パーソナリティ代理として出演した。 2014年には、子守の休暇中に当たる9月8日([月曜日)~9月12日(金曜日)の放送に、パーソナリティ代理として出演。12日には、『モーニングミックス』(当時プロデューサーと金曜日のパーソナリティを兼務していた前枠番組)に続いて登場した。 2015年には、子守の休暇中に当たる7月27日(月曜日)~7月31日(金曜日)の放送でパーソナリティ代理を担当。 2010年12月30日(木曜日)には、子守が風邪による声嗄れのため、6時台と7時台のMBSニュース担当予定で、後輩アナウンサーである加藤康裕が、5時台途中より参加(ニュースもそのまま担当)。そのままエンディングまで出演した。 2011年6月14日(火曜日)の「きょうイチ!てんコモリ」では、子守がMBSを退社する際に河島英五(2001年4月に48歳で急逝)が特別に作ったとされる未発表曲「あなたに ありがとう」を、テレビ・ラジオを含めて初放送。放送の直後には、英五の長女・河島あみるが電話で出演した。2013年5月3日には、あみるの妹・河島アナムの補詞と子守の歌唱による「あなたにありがとう」を、CDシングルとして発売した。 2013年4月1日(月曜日)の7時台には、前日に関西テレビを退社した山本浩之(子守と同じ1961年度生まれで、放送局入社も同期)が、フリーアナウンサー転身後の初仕事として当番組へゲストで出演した。 2013年9月27日(金曜日)の本番終了後からは、子守とリスナーの懇親会を兼ねた番組史上初のツアー企画「子守さんと行く大人の修学旅行 SL列車と世界遺産三保の松原」を、静岡県内で3日間(2泊3日)にわたって実施した。 7時台の前半に内包されている『いってらっしゃい』のパーソナリティを鈴木杏樹(大阪市箕面市生まれで子守と同じ神戸市育ちの女優)が務めていた時期(2004年9月27日 - 2020年2月6日)には、子守(休演中にはパーソナリティ代理)が意図的に「杏樹さーん!」と呼び掛けることが多かった。『いってらっしゃい』はニッポン放送の事前収録番組で、MBS以外のラジオ局でも広く放送されているため、鈴木から放送上返答らしき言葉を聞くことは原則として不可能であった。しかし、2014年5月9日(金曜日)放送分では、放送当日に53回目の誕生日を迎えた子守に向けて鈴木からお祝いのメッセージ が寄せられた。ニッポン放送の協力による子守へのサプライズ企画だったため、子守は驚くと同時に大層感激していた。 2016年の初回放送日である1月1日(金曜日)には、MBSテレビで生放送による特別番組『新春ぷいぷいwithタイガース~"ぼん"と正月~』を6:30 - 8:25に編成した関係で、当番組を放送中の毎日放送本社M館ラジオβスタジオの外から7時頃に生中継を実施。当番組からは、子守とアシスタントの高井が、MBSテレビの映像に登場した。 2016年6月21日(火曜日)のエンディングでは、子守が自身の妻以外の女性と不倫の関係にあったことを突然告白。そのことを報じる記事が同月23日発売の『週刊新潮』に掲載されることを明かしたうえで、リスナーや不倫相手に向けて謝罪した。さらに、本番後に大阪市内で開いた記者会見でも、「『脇が甘いな』と思いながら、当番組で(芸能人の不倫に関するニュースを)放送してきたが、(結果として)リスナーの信頼や期待を裏切った。『何と浅はかだったんだろう』と思う」という表現で謝意を示した。子守は翌6月22日から24日まで、普段はアシスタントと共に進行する「歌のない歌謡曲」の出演を取りやめた。 2017年11月27日(月曜日)放送分では、子守が前日から声を出せなくなったことを理由に休演。本来アシスタントとして6時台から登場する古川と、水・木曜アシスタントの大塚が、5時台から急遽パーソナリティ代理として出演した。さらに、金曜アシスタントの高井も、5:55頃から随時登場した。当日の6時台・7時台にテレビで『あさチャン!』内の関西ローカルニュースを担当すること を前提に毎日放送へ出社していたことによるもので、実際には、前述したニュースの合間を縫う格好で当番組へ出演した。なお、28日(火曜日)・29日(水曜日)の放送も休演したため、28日以降は伊東が全編にわたってパーソナリティ代理を務めている。
※この「番組でのエピソード」の解説は、「子守康範 朝からてんコモリ!」の解説の一部です。
「番組でのエピソード」を含む「子守康範 朝からてんコモリ!」の記事については、「子守康範 朝からてんコモリ!」の概要を参照ください。
番組でのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/02 07:47 UTC 版)
「輝く日本の星!」の記事における「番組でのエピソード」の解説
基本的に出場者の交通費は実費だが、次代の池谷幸雄をつくるに出場した児童が第1関門で敗退したため、母親が交通費を求め「クイズ悪魔のささやき復活SP(1996年9月25日放送)」に出演し、100万円を獲得した(トータライザーは8万円)。 基本的に一度敗退したら退場させられるが、次代のダウンタウンをつくるのように別々のコンビから優勝者が決まったり、平成の原節子をつくるでは、終盤の関門で既に敗退した出場者がスタッフに懇願し特別に参加させた措置もあった。 司会の和田アキ子のリアクションも番組の見所だった。次代の羽生善治をつくるで、あまりにも自信満々の言動をした出場者に対して、和田の反感を買う。ちなみにその出場者は第4関門(準々決勝)で敗退。 また、複数のテーマに応募してくる母親に対して、和田が「こういう親は、子供をずっと出場させ続けるんでしょうね」と深いコメントをしている。
※この「番組でのエピソード」の解説は、「輝く日本の星!」の解説の一部です。
「番組でのエピソード」を含む「輝く日本の星!」の記事については、「輝く日本の星!」の概要を参照ください。
- 番組でのエピソードのページへのリンク